「はじめまして、じゃな。遠く京都からよく来てくれたの」

 ふぉっふぉっふぉ、と笑ってみせる老人は、机を挟んだ先にいる青年のいでたちを眺めてそう告げた。
 ここは麻帆良学園の学園長室。
 高い天井、西洋を思わせる壁。広いこの部屋にはたったの3人。

 学園長と、タカミチと……1人の青年。
 白い襟付きシャツにデニムのパンツ。斜めにかけられたベルトから伸びる黒い棒のようなもの。
 身一つで迷い迷ってようやく目的地にたどり着いたかの青年は、疲れたような表情で目の前の2人を流し見ていた。

「それはどーも。で、俺はどうなるんだろうな?」
「ふぉふぉふぉ、そう警戒するでない。なに、お前さんをどうこうしようとは思っとらんよ」

 あたりまえだろ、と青年は内心で毒ついた。
 ただでさえ自分は色々と面倒な立場なのだ。半ば事故という形でこの世界に喚ばれ、まるで導かれるように麻帆良へとやってきた青年。
 名は……リバーといった。
 今はもう過ぎた京都で起こった、一部の人間しか知る由もない事件。
 有無を言わさず呼びかけに応えてしまった彼はただ、自分が再び『世界の狭間』へ帰還するときをただ待っている状態。ある意味で、彼は巻き込まれてここにいるわけだ。
 そして、それは今も。

「……おい、この街で何が起きてる?」

 同じことだった。
 身体全体でひしひしと感じ取れるいくつもの大きな魔力。それもこの広い広い学園都市に点々と。
 自身の身体を構成しているのが純粋な魔力だからこそ、その身で認識できるのだ。
 血のように赤い、吸い込まれるような双眸に射抜かれて、学園長とタカミチは肩を竦める。そんな彼の目が物語っているのは、この先何が起ころうとしているのかという、絶対に避けては通れぬ近い未来の出来事。事情も知らず、状況も知らない彼がどれだけ今このときに危機感を感じているだろう。

「うむぅ……」

 それを、目の前の2人が感じないわけもない。
 学園長はその長いあごひげをゆっくりと撫でて、タカミチとリバーを交互に見やる。タカミチは無精髭をそのままにした顎をさすりつつ、

「ふー……」

 肺にたまったタバコの煙を吐き出した。



  
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
  
はじまりのかね



「お、お前は……」

 雨水に濡れた男性は、全身黒ずくめだった。黒いブーツにズボン、シャツ。そしてコート。終いにはかぶっている帽子まで全部。
 唯一色が違うのは帽子の影から飛び出す白髪とに白髭、そして少しばかり顔色が悪いように見てとれる皺の寄った口元。
 そのいでたちを見る小太郎の表情は硬い。

 かたかたかた。

 なんで、身体が震えるのだろう。なんで、こんなにも胸の高まりを感じるのだろう。
 恐怖? 遺恨? それとも……その力が及ばず、負けたことへの未練?
 ……いや、違う。これはただ、強い者出会ったことによる高揚感だ。
 一度は敗退した。麻帆良へ来る道中で、彼は自分に襲い掛かってきた。相手は5人、こちらは身一つ。多勢に無勢、とはよくも言ったもの。5対1ではもちろん相手にすらならず、結局命からがら尻尾に帆かけて逃げ出した。なんとか撒いて逃げ切った頃には体力も気力も底をついて、目的地にたどり着けたこともあって緊張の糸が切れて倒れてしまって、今に至る。

「再びまみえることができて嬉しいよ、少年」

 自分でもわかる。『今』の自分では、この男に勝てないと。
 京都から歩き歩いて強くなったつもりでも、身体の内側は今、ボロボロだったから。

「さて、少年。予定通り瓶を渡してもらおうか……」

 男性はゆっくりと拳を握り、帽子の影から冷ややかな双眸を小太郎へと向けた。
 彼は最初からわかっている。目の前の少年が、自分の言葉にはいそうですかと従うわけがないのだと。

「我々の目的はあくまでネギ少年だが、その瓶に再び封じられてしまっては元も子もないのでね」

 そう、彼は危険な存在。『この世界』にいてはいけない存在。人の感情をもてあそび、負の心を糧とする存在。煩悩、邪心、悪を象徴する存在。
 かつて1人の少年の村を焼き払った群れの頭目にして、上級――伯爵級に籍を置く、神々の永遠の敵対者。
 人はそれを……

「……けっ、なんのことだかわからんわ」

 悪魔、と呼んだ。


 ●


 雨が降っていた。
 視界すらふさぎ、その行動を妨げるような。まるで空の彼方から誰かが巨大なシャワーを浴びさせているんじゃないかと思えるほどにその勢いは激しく、しかしそれに負けず空中を疾駆する人影があった。
 ネギと小太郎。彼らは囚われた友達や恩人を助けるために、大雨に打たれることすら厭わず突き進んでいた。
 目的地は、目の前に迫った学園祭のためにと建造されたステージ。野外に建造されたステージ上では、いくつかの人影がある。
 ステージ上でまるで特別と言わんばかりに両腕を拘束され身動きの取れない明日菜、魔法によって作られたのだろう、泡のような檻の中に閉じ込められて出ることすらできない木乃香、のどか、夕映、古、和美。そして、気を失ったまま同じ檻に閉じ込められた刹那と千鶴。刹那は、その華奢な身体に秘められた退魔の力を恐れ、その檻に1人、拘束すらされていた。そして、千鶴はというと、時間を少し遡らねばならないだろう。

「前途有望な少年の未来を閉ざすのは本意ではないのだが……」

 封印の瓶を求めて押し入った悪魔の男性――名をヴィルヘルムヨーゼフ・フォン・へルマンというが、彼の力は相対した小太郎のそれを大きく上回っていた。技術も体術も、そして純粋な腕力も。交戦の結果は最初から見えていた、とでも言おうか。握った拳の一撃は重く早く、彼の小さな身体はいとも容易く吹き飛ばされた。彼の持つ『狗神』の力は、襲われた時に1人の魔法使いに封じられた……彼もよく知る、ゴスロリ服を纏い、その身にそぐわぬ無骨な大鎌を構えた1人の少女の手によって。
 力敵わず、『狗神』の能力すら使えず、立つ力すら奪われてフローリングの床で動けない小太郎の身体を軽く踏みつけて、ヘルマンはその一言を口にしたのだ。

「恨まないで……くれたまえよ」

 大きくその口を開く。見舞うのは魔力をこれでもかと込めた高威力の弾丸だ。
 自身の魔力を、周囲を漂う魔力をかき集めて集まり顕現するその光を視界に納め、小太郎は戦慄した。
 彼は魔法使いではない。それでも感じる魔力の奔流受けてしまえば最後、瞬く間にその身を貫き焼かれ、骨はおろか毛の一本すら残らないだろう。
 殴られた鈍い音に悲鳴を上げる夏美だったが、そんな光景に尻込むどころか彼に歩み寄る女性の姿があった。彼女は自分に気付きもしない男性に対して、その手を振り上げて。

 パンッ!!

 一思いにひっぱたいていた。

「どんな事情かは知りませんが……子供に対してするようなことではありませんわ」

 こんな行動が、彼女をその後の事件に巻き込んでいくことになる。
 ネギが駆けつけてきたときにはすでに遅く、千鶴が連れ去られようとしていたところだったのだ。
 壊されたチェーンロックに、眠りに落ちたあやか。665号室を開いた瞬間にネギの目に飛び込んできた光景だった。鉄製のチェーンロックがまるで万力で力いっぱい押し潰しているように壊れ、その脇であやかが眠っている。それは、この場所で何かが起こったことを如実に示し、ネギの心をかき乱す。
 夏美の悲鳴で我に返った彼は、その足をリビングへと向けたのだが……

「やあ、早かったね。ネギ・スプリングフィールド」
「あ、あなたは……っ!」

 その先にいたのは、日本の家に土足で上がりこんだぶしつけな男性と、彼が横抱きにしていた千鶴の姿があった。
 彼らを包み始めているのは水を介した『ゲート』の魔法。

「君の仲間と思われる7人を、すでに預かっている。無事に返して欲しくば、私とひと勝負したまえ」

 学園中央の巨木の下にあるステージで待っていると言い残し、ネギの放った制止の声を聞かず、その姿を消した。
 気絶から覚醒した小太郎は彼を起こしたネギの顔を見て「決着つけよーぜ!」などと言ってくれるが、もちろんそんなことをしている暇などない。
 ネギは大事な教え子を……友達を助けるために。小太郎は、本来なら関係のないはずだった千鶴を巻き込んでしまった。囚われの彼女を助け出すために。

「僕だってあれからかなり修行したんだよ!」
「ホンマか!?」

 杖にまたがり、空を駆っていた。



「何なのよこのエロジジィーッ!!!」
「ろも゜っ!?」

 さて、話を戻すことにしよう。
 巨木――世界樹のふもとに位置する立派なつくりのステージで、ボンテージにガーターベルトを着せられていた。
 囚われのお姫様がパジャマ姿では雰囲気が出ないから、という男性――ヘルマンの趣向はまだ15である彼女たちにとっては少しばかり刺激の強いものだったが、烈火のごとく怒った明日菜は気恥ずかしさよりも先に自由なままの足で思い切りヘルマンの顔面へ蹴りを見舞っていた。

「いやいや。ネギ君のお仲間はイキがいいのが多くて嬉しいね」
「鼻血出してなに気取ってんのよ!!」

 鼻血だらだらの彼の言葉にツッコミつつも目を丸め、背後を見やる。その先には、泡のような中に閉じ込められて身動きが取れないクラスメイトたちの姿があった。さらにその両脇には刹那と千鶴。刹那はさておき、なぜ千鶴がこんなところにと驚くのも無理はない。
 彼女は本来、ここにいてはいけない存在。すでに世界を『知って』しまった彼女たちからすれば、眠っている千鶴がここにいることは不本意。関わって欲しいとは到底思わない。
 だったら。彼女を魔法こちらの世界へ踏み込む前に、今の状況を打破すればいい。眠っているうちに、なにもかもをなかったことにすればいいだけのことなのだが、そのたった一言が何よりも難しい。

「なーなー、そこのちびちゃんたち。ウチらをここから出してくれへん?」

 水の壁を叩いて呼びかける木乃香に、3つの小さな身体は動きを見せる。
 大きい顔は身体と同じだけの大きさを持っている。いわゆる二頭身というヤツだ。その顔立ちは3つとも少女のそれ。しかし、木乃香の言葉は受け入れられることはなく。

「一般人が興味半分で首を突っ込むから、こういう目に遭うんだぜ」

 と、自分たちの行動を見透かされて笑われていた。
 確かに、魔法の世界は危険な世界だとネギから聞いた。興味半分で関わろうとすると、取り返しがつかなくなるとも言っていた。
 彼女たちなりにわかっていたつもりでも、いざその状況に立たされてみれば自分の考えが甘かったことを実感する。自分自身がそれを感じていたからこそ、同じく壁を叩いて出してくれと頼んでいたのどかや夕映は反論できずに口ごもる。
 目の前にいる3人の少女たち……もとい、3体のスライムたちは檻の中の少女たちから目をそらした。

「こんなことして、一体何が目的なの!?」
「なに、大したことではない。仕事でね」

 明日菜はその言葉に、先日のアスカの言葉を思い出していた。彼はゴールデンウィークに入ってから、ロンドンへと飛んだ。休みが終わり、授業が再び始まってもまだ帰ってくる気配すらない。
 「休み明けまでには帰ってくるから」と言って笑っていた彼は、ロンドンに行く目的がであると口にしていた。つまり、仕事とは魔法関係……退魔の請負。麻帆良に転入してくるまでそんなことを仕事にしていたというから、それが自分の命を、身体を張っているのだとわかっていた。
 つまり、今回のこの一件も同じ。目の前の男性が誰かに頼まれて、ここへ来た。莫大な報酬と引き換えに、自らの身体を張って。
 それでも、自分は彼の仕事の達成を阻止しなければならなかった。しかし、拘束されていて身動きすら取れない今、彼の仕事の邪魔などできるわけがない。

「学園の調査が主な目的なんだが……もう1つ」
「……え?」

 ヘルマンは自分をまっすぐ見つめていた。
 その視線はまるで神楽坂明日菜という人間のすべてを見透かされているような嫌悪感があり、自然と眉間にしわがよる。

「ネギ・スプリングフィールドと君……カグラザカアスナが今後、どの程度の脅威となるのか」

 そうだ、これだ。

 今までに感じていた嫌悪感。修学旅行から帰ってきてからそれは顕著だった。
 あからさま過ぎる、まるで自分をなめまわすような、自分を値踏みするかのような視線がいくつか感じ取れていたから。
 つい先日まで一般人だった自分を観察して、何を脅威としているのだろうかと明日菜は思う……自分の内に在るスキルに、魔法使いなら喉から手が出るほど欲しいスキルの存在をほとんど知らないまま。
 そのスキルの正体は、これから起こるたった数十分で明らかになる。そして、なぜそんな力を自分が持っているのかという疑問も、このときから持つようになる。
 もしかしたら自分は、在るべくしてここに在ったのかもしれないという思いすらも懐くようになるだろう。
 そのスキルだけでも魔法使いにとっては十分すぎる恐怖なのだ。自分にとっての脅威のほどを調べたくなるのも、うなずけるというものだ。

「ただ、ネギ君に対してはちょっとした思い入れがあってね」

 男性の頭をよぎるのは、涙を流して逃げ惑う子供の姿。力も持たず、ただ逃げ惑うだけの何も出来ないただの子供だった彼が、からどれほど使えるようになっているのか……それは、彼の個人的な興味であると同時に、今一番知りたい事柄であった。

 空が光る。
 稲妻ではない。もっと現実味のない、幻想的なその光は、ネギがやってきた証拠となった。
 夜の雨空に灯った小さな光が放つ、一条の光線。幾重にも伸びた細い光の束は、風を抱いた捕縛の縄。
 そんな光を眺めていたヘルマンは笑い、片手を掲げる。
 光の束が彼に激突する瞬間、目に見えないバリアのような壁が、乾いた音を上げながら光の進行を妨げていた。

「弾かれた!?」
「いや、何かにかき消されたように見えたぜ!」

 威嚇に放った戒めの風矢の末路に驚きを見せながらも、現れた2つの人影はステージの手前、観客席の最後列へと降り立つ。



「来たで、おっさん!!」
「みんなを返してください!!」


 はじまりのかねが今……鳴り響く。







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