……どうかね?
やわらかい頭に聞こえる低く太い声に、少女はにんまりと笑う。
学園に入る寸前、小太郎と交戦し弱らせた少女たち。しかし、人間というには語弊があるだろう。
「見つけたぜ。さっき、学園の近くで弱らせたヤツだ」
「結構きつかったけど、あの娘がいてくれてヨカッタデスネ」
「かな〜りの勢いでぶっ潰してやったからなぁ。表面では元気でも、中身は最悪だぜ?」
それは、液体。本来の形のない流動体。
少女たちを象ったそれは、スライムという名の魔法生物である。
1体は表情に変化を見せず、1体はメガネにちゃんと動いているのかすらわからないハンディコンピュータ。
そして、最後の1体は小太郎の状態に嬉々とした表情を浮かべ、早く戦いたくてうずうずしている、といった雰囲気を醸し出している。
……よろしい。君たちは、作戦通り事を運びたまえ。それから、『彼女たち』に伝令を頼みたい。
再び聞こえた声にうなずき、にんまりを笑う。
『彼女たち』に伝えるのは、作戦開始の合図。もっとも、作戦なんてそんな大掛かりなものではない。ただ、たった1つの合図でそれぞれが思い思いに動くだけ。
それだけで、それぞれに利があるのだ。だからこそ、彼らは『彼女たち』と手を組んだ。
ここから先は、何があっても干渉はない。あったとすればそれは……どちらかの作戦が終わるときだ。
「と、いうわけで。あとは適当にやりな」
聞こえていた声が途切れ、少女たちは首を捻る。
その先にいたのは、ゴスロリドレスを纏った少女だった。
今いるこの場所は屋根裏部屋。電灯なんかあるわけもなく暗いため、その雰囲気や表情は窺えない。
しかし、シルエットからわかるとおり、小柄な少女にしか見えない人影は。
「ん、りょーかい。ボクから伝えとくね」
トーンの高い声でそう答えを返すと、足元に魔法陣が具現し、その姿を消してしまっていた。
数多いる魔法使いの中でも高度で、術者の少ない転移の魔法。それをいとも簡単にやってのけた少女の気配も、屋根裏部屋にはすでにない。
スライムたちは何事もなかったかのように首を戻すと、
「ステルス、完璧デスぅ」
少女を象っていた体が液体に戻り、どろどろと混ざりながら移動していく。
トラブルが、雨の麻帆良に襲いかかろうとしていた。雨に打たれ、それでいてなおコートの男が1人、女子寮へと近づいていく。
つばの広い帽子を深くかぶり、顔は見えない。
「やれやれ…………」
低く太い声。それがスライムに話しかけていた声であることがわからないわけがない。
男は小さく息を吐き出すと、
「では、はじめるか」
降り注ぐ雨を気にかけることなく、ゆっくりと歩き始めたのだった。
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
中身のない作戦、始動
「んむっ、うまい!! うまいわこれ!」
「あら良かった。どんどん食べてね」
「うん、おかわり!」
小太郎は、ニコニコ笑顔を崩さない千鶴に満面の笑顔を見せ、棚ボタよろしく久々ともいえるあたたかい食事にありついていた。
ハンバーガーにおにぎり、コーンスープ。作り方こそ簡易的なものながら、味は保証つき。誰が作っても一定以上の味が出せるまさに先文明の結晶(?)である。
ずぶぬれだった一張羅の学ランは洗濯中。同室の3年A組28番・村上夏美の弟がなぜか持っていた彼女の弟のパジャマを代わりに身に着けていた。
「ところで、小太郎君はどうして麻帆良に?」
たずねたのは夏美だった。豪快に食べまくる小太郎を眺めつつ、自身も少し早めの晩御飯と洒落込んでいたのだが。
結局のところ、今までに夏美と千鶴の2人して得ることの出来た情報は彼の名前だけ。
相手はネギと同じ年のころの少年なのだ。彼の身元が気にならないわけもない。
「ん? あー、そういや忘れとったわ……」
と口にしつつ、少年の動きが停止する。さらに少しつり上がり気味の目が大きく見開かれ、箸を持つ手が小刻みに震え出す。
「…………」
「小太郎くん?」
無言。
夏美が首をかしげているにもかかわらず、小太郎は表情を変えずにゆっくり茶碗と箸を置く。
そして、
「わ、忘れてた―――ッ」
声を上げて勢いよく立ち上がった。
雨に打たれて、しかもわけのわからん物体に襲われ、それでもなおようやくたどり着いたというのに。
彼がここに来た一番の目的を、綺麗さっぱり忘れていた。本当なら、こんなにほんわかした食卓についている場合ではなかったのだ。
……もっとも、いろんなことが重なってしまい、小太郎はまだ年齢的には子供であることもあり、倒れざるを得ない状況になっていたわけだけども。
まぁ、そうなってしまったのは彼に京都−麻帆良間を徒歩で移動させた青年――リバーのせい、といっても過言ではないのだけれど。
「ち、ちづる姉ちゃん! ネギや、ネギ!!」
「あらあら、ネギがどうかしたのかしら。やっぱり、身体の調子が悪い?」
「か、風邪じゃねえよ姉ちゃん!」
腕まくりしつつネギを手に取る千鶴に小太郎は思わずつっこむ。時間がないというのに。まぁ、関西出身の性、といったところだろうか。
「ネギってもしかして……ネギ先生のこと?」
「そう! それや夏美姉ちゃん!」
目的の人物の名前を口にした夏美に詰め寄り、自分の服がいつもの一張羅じゃないことに今更気づき、ずぶ濡れで選択中であることを思い出して意味もなく地団駄を踏んでみる。
もういいやとパジャマ姿のまま玄関へ突っ込んだのだが。
「ちょっとちづるさん、一体何の騒ぎ……っ!?」
あやかがバタバタと近所迷惑この上ない我が部屋にため息をつきつつ扉を開いたそんなときに、小太郎が飛び出してきたのだからさぁ大変。
ズン……!!
小太郎が思い切り、背丈的にちょうどあやかの鳩尾に彼の頭が突っ込み、
「あ、わり……」
玄関でうつぶせに倒れこんだあやかは痛みに悶絶。
意外に沸点の低い彼女の逆鱗に触れることになるわけである。
烈火のごとく怒るあやかに、千鶴は小太郎の素性についてこんな説明をしていた。
「実は夏美ちゃんのご実家は、ここでは話せないようなとおってもドロドロで複雑な家庭の事情があってね……弟の小太郎君には夏美ちゃんしか頼れる人がいないのよ」
実家の事情、なんて話題を持ち出されれば、あやかも引き下がらざるを得ない。整った眉毛をハの字にして、千鶴曰く『とってもドロドロで複雑な家庭の事情』を思う。
同情こそある意味では大きなお世話かもしれないが。
「なぁ、さっきからうるさいけどこのおばさんだれ?」
「〜〜〜〜っ!!」
やっぱり、騒動の引き金を引いてしまうのだ。
●
「ふぅ、ようやく戻ってこれたね」
「長かったわ〜〜」
所変わってここは空港。雨に濡れないように屋根の下でなまった身体を大きく伸ばす2人。
仕事が終わり傷も癒えて、ネギの姉ネカネから仮契約に関して黒いオーラに当てられつつ、ガクガクブルブルしながら日本への飛行機に乗ったのだ。
もっとも、ネカネはアスカとの仮契約が切れたことを最初から知っていた。事故とはいえ亜子と仮契約を交わしてしまった瞬間、パクティオーカードに描かれていたアスカの絵が消えてしまったという。
そのときに、なにかあったなとは感じていたとネカネは言っていた。
――がんばってね。
そんな中、別れ際にかけてくれたアーニャの一言がどうにも嬉しくて仕方なかったのは、ここだけの話だ。
「時差ボケとかあると思うから、帰ったらすぐに寝ないとね」
「せやなぁ。飛行機の中ではどうにも寝れへんかったし」
原因はネカネのオーラです。
「麻帆良までもう少しだからさ。タクシー拾って帰ろっか」
すでに夜も遅い。電車なんかもう通っていないだろうし、かといって徒歩で帰るには遠すぎる。だったら、夜に街を徘徊しているタクシーを拾って帰るしかないのだ。
アスカと亜子は、時間もさほど経たずにタクシーをゲットし、雷なる大雨の中を麻帆良へと向かったのだった。
閑話休題。
話は戻る。
あやかと小太郎の騒動がようやく落ち着きを見せて、少しばかり遅い夕飯と相成った。
一刻も早くネギのところへ行きたかった小太郎だったが、もう夜も遅いということで明日改めて話をするという形で納まりを見せていた。
小太郎がいるから、と千鶴が腕によりをかけて作った晩御飯はまさに豪華の一言に尽きるほどのもので。あきれてため息をつくあやかのおかずを夏美と千鶴でせしめて、その騒がしい食卓に小太郎が一抹の嬉しさを感じつつ。
――ピンポーン……。
そんな時間も、一度の呼び鈴の音と同時に終わりを告げることになる。
「……どなたですの?」
「失礼、お嬢さん。少々お騒がせするかもしれない……」
呼び鈴を鳴らしたのは、壮年の男性だった。
漆黒のコートは雨水でズブ濡れ、つばの広い帽子を深くかぶり、見える顎髭がとても立派な。
どこかの国の貴族だった、と例えても、それはあながちはずれというわけではないだろう。
「そちらの少年に、用があるのでね」
そんな言葉を口にして、手に持っていた一厘の薔薇をあやかに差し出す。
昏睡の魔法がかけられたトゲのない薔薇は、その香りを嗅ぐだけで朝まで起きないほどの強い魔法がかけられている。
もちろん、それを差し出されたあやかがまっすぐ立っていられるはずもない。
「あ、ら……?」
足の力が抜け腕の力が抜け、靴箱を背に意識を飛ばす。その光景を眺めて、男性はかけられていたドアチェーンをまるで楊枝でも持つかのようにつまみ、潰し壊した。
べきん、という聞きなれない金属音に、部屋の3人は訝しげに首を傾げる。
音は玄関から。呼び鈴に対応してあやかが迎えに出たはずなのに、今のような変な音がするわけがないのだ。なにかあったと思うのは当然。
「まったく、いいんちょはどう……」
「夏美姉ちゃん、行ったらあかん!!」
「へ?」
立ち上がり、玄関を向かおうとした矢先のこと。少しばかり強い声色で、小太郎は彼女の行動を制していた。
表情に険しさを宿す小太郎。呼び鈴が鳴り、妙な音を聞いて。確かな力の奔流を感じていたのだ。
こつ、こつ、こつ。
玄関で靴を脱がず、土足で上がってきた様子。日本の文化を知らない外人か、強い力を持つ化け物か。どちらにせよ、なにも関係のない千鶴や夏美を守れるのは、自分しかいないのだと小太郎は自分に言い聞かせた。
「やあ、狼男の少年」
元気だったかね?
それは、がっしりとした丈夫そうな体躯を持つ男性だった。
「っち……」
狭すぎるフィールドに、男性の持つ力の大きさ。
その厄介さに、小太郎は小さく舌打ったのだった。