それは、在りえない光景だった。
「パートナーだから」と見せてくれたネギの過去。それは、私の想像を超えて烈しいものだった。
片手で数えて足りるほどの年のころの彼はこのころ、こう思っていた。
『自分がピンチになれば、父さんが現れ、助けてくれる』と。だから彼は、自分に向かって吼える犬がつながれた鎖を魔法で切ってみたり、測定すれば氷点下をたたき出すような水温の湖に、泳げないくせに自ら飛び込んでみたり。
彼はただ、見たこともない父親に大きな期待を抱いていたのだ。
それを教えてくれたのは、ほかでもない彼の姉。
あなたのお父さんは有名な英雄――スーパーマンなのだと。
そんな彼女はこの頃、10歳を越える直前。話し方や立ち振る舞いが大人びて見えるのは、魔法学校で鍛えられたその賜物。
ネギよりも1つ年上のアーニャという少女や、父であるサウザンドマスターをよく知るスタンという老魔術師。
優しい人たちが出ては消え、そして。
「は……ぁ、はぁ、ぅぁ、ぁ……」
「おいっ、どうした!? しっかりせい!!」
スタンに抱きかかえられ、全身傷だらけで息のか細い短髪の少年。その女の子のような顔立ちから、この少年が神楽坂飛鳥というのだと、直感的に理解できた。
彼はネカネとアーニャがいない間、怪我の静養という名目でネギと常に一緒にいた。
わざと自身をピンチにしようと行動する彼と共に。
……彼はこのとき、昔の記憶を失っていた。
覚えていたのは自身の名前と記憶を失ってからの思い出だけ。何もかも失って右も左もわからぬ場所を放り出された彼にとって、ネギの存在はどれだけ励みになっただろうか。
実際、彼が笑って見せたのは、いつも一緒にいられない姉の代わりにネギと暮らしを共にしてからだった。
周りばかりを気にして、心の休まる場所もない。そんな彼が唯一、安らげる場所。それがネギの隣であり、姉であるネカネの隣だった。
アスカの傷が癒え、共に生活するようになって、村の人たちとも仲良くなった矢先に……悲劇が起こった。
「1ヶ月ぶりね。ネギとアスカは元気にしてるかしら……」
小さな手持ち鞄を両手で携えレトロなボンネットバスを下車したネカネは、黒く染まった空を見て。
「何かしら、あれ……」
これから起こるだろう災厄など知る由もなく、最愛の弟の姿を探していた。
しかし、彼女が村に……久しぶりに再会したスタンに挨拶しようとした直後のこと。いつものように酒をあおっていた彼が血相変えて立ち上がり、ばたばたと酒場の外へと走り出したのだ。
臨むのは、先ほどネカネが見たよりもその色を増している黒。その小さな一粒一粒が、異世界から召喚された者たちなのだと気づいたのは、身も凍りつくような雄叫びを聞いた瞬間だった。
――ピンチになったら現れる〜♪ どこからともなく現れる〜♪
そしてネギは一人、湖のほとりで釣竿を垂らしていた。
魚など、冬場にはいない。水面に浮かべたウキが引っ張り込まれるわけもなく、
「ネギ、今日はネカネが戻ってくる日だろ?」
「あ、そうだったよ。早く村に戻らなくちゃ……アスカ、行こう!!」
木陰に腰を下ろして本を読んでいたアスカの手を引き、息を切らしながら走る。走る。走る。
この小高い丘を越えれば、見えてくる彼らの村。
……の、はずだった。
「ネカネおねえちゃ……っ!?」
突然吹きつける、生暖かい風。
「な、なにさコレ……?」
2人の目の前に広がっていたのは見慣れた村の姿ではなく、激しい炎の立ち上る変わり果てた村の姿だった。
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
子供先生の過去話
「お前、『他人の表層意識を読み取るアーティファクト』持ってただろ。貸せ」
ぼーやの心をウォッチする。
真夜中に起きてきたのどかに、エヴァはそう告げて手を差し出した。
ネギが明日菜に『意識シンクロ』の魔法をかけている光景を見たからだ。
明日菜だけに向けられた彼の心。それを知っておくことは、いろんなところで便利だからと、慌てて拒否するのどかにもっともらしい理由をつけてまくし立てる。
「ぼーやは他のみんなにも話すと言っていた。だから大丈夫だ……師匠である私には聞く権利がある」
「で、でもぉ……」
「あのぼーやの姉貴面した神楽坂明日菜だけに聞かれては、色々と先を越されてしまうかも知れんぞ?」
「は、はぅ……」
結局、のどかは本をエヴァに渡していた。
本当は彼女も知りたいのだ。ネギががんばる理由を、立派な魔法使いを目指す理由を。
……
「ゆえっち、ゆえっち」
「……?」
綾瀬夕映は、ぐっすり眠っているところを和美と古菲によって起こされていた。
面白いことをやってるから、と。
言われるがままについていけば、そこではすでにのどかの本を中心に人だかりが出来ていた。
●
さて、話を戻そう。
ごうごうと音を立てて燃え盛る炎の中へ、ネギとアスカは飛び込んだ。姿の見えない村人たちや、帰ってきているはずのネカネを探すために。
……危険だとわかっていた。しかし気持ちが、そして身体が立ち止まることを許してはくれなかった。
「ネカネおねえちゃーん、おじさーん!!」
「ネギ、危ないっ!!」
ネギを抱え、アスカは飛びのく。ちょうどネギがいた場所には支えを失った太い柱が倒れかかり、ずしんと音を立てて地面にめり込んでいた。
彼が気づいて飛びのいてくれなければ今頃、ネギはあの柱の下敷きになっていただろう。
しかし、冷や汗を拭い一息ついたアスカを置いて、彼は先へと進んでしまう。
……無理もない。たった1人の姉なのだ。彼が探しているのは、この世界に2人といない大事なひとたちなのだから。
アスカはそんな彼を、何も言わずに追いかける。
ネギを守らなければと走り、追いついたその先で。
「え?」
たくさんの石像を視界に納めた。
これほど多くの石像、この村にあっただろうか?
そんな思考を巡らせるまでもなく、必死な表情のまま時間を止めている石像たちは皆、この村の住人だった人たちだった。
(これは、修学旅行の時と同じ……)
ネギの表層意識を目の当たりにしている明日菜は、石像を見て直感した。
今のような状況を、前にも見たことがある、と。
時はさかのぼり、修学旅行の最後の晩。白髪の少年が唱えた、石化。
「うっ……」
しかし、そんな明日菜の思考は突如、終わりを告げる。
「ぼくのせいだ……」
涙交じりの彼の声を聞いたから。
ピンチになれば、父さんがかけつけてくれる。ピンチになれば、父親に会える。
ピンチになりたい、と思ったから。
(ば、バカ! なに言ってんの!? そんなことあるワケないでしょ!)
「何言ってるのさ!? そんなことあるワケない! ネギは悪くないよ!」
明日菜と同じ事を、ネギの隣にいるアスカが言う。
ネギがそうしたいと望んだことが現実に起きるほど、この世界は単純には出来ていないのだ。
そんな2人に。
「あ……」
更なる危険が襲い掛かろうとしていた。
地面からにじみ出てくるように具現する、いくつもの異形の影。
羽、角、巨体、長い腕。とても『人』とは言えないその影たちの視線は、まっすぐに2人を射抜く。
折り重なる恐怖。足がすくみ、動けない。でも、動かなければ何も出来ない。
「ネギ、下がって!」
「アスカ!」
ネギをかばうように一歩前へと進み出、とおせんぼするかのように大きく両手を広げる。
震えのとまらない身体で、声で。
「こっちに来るな!!」
声を張り上げる。しかし、異形たちは言葉に反応せず、まっすぐ2人を見つめていた。
先頭に位置していた巨体の腕が振り上げられる。口からはみ出た巨大な牙は片方が折れてなくなっており、身体中に紋様が刻まれている。
”■■■■―――!!”
「……っ!?」
雄叫びを聞き、アスカは背後の小さな存在を守らんと出来る限りにらみつける。
しかし彼らはその視線に反応すら見せず、同時に高々と掲げられた異形の豪腕が振るわれた。
鈍い音と共にネギの前からアスカの影が一瞬にして消え去り、アスカがあの腕によって吹き飛ばされたのだと理解する。
「うぅ……っ」
同時に、無防備になるネギ。
(ネギ! どーなってんのよ!? ちちち、ちっちゃいアスカとネギがやられちゃうわよ!?)
明日菜は出来る限り声を放つ。しかし、これは彼自身の記憶の中。つまり、現在のネギが6年前体験したエピソードそのものということになる。
つまり彼女がいくら必死に呼びかけたところで、彼は結末を知っているからこそ、聞こえたところで意味はないのだ。
「ね……ネ、ギ……逃、げて……」
明日からの身体は地面に叩きつけられ口から血を流し、せっかく閉じた傷から再び血が漏れ出す。
身体に力が入らない―――動くことすらままならない。そして、力を振り絞って放った言葉も……肝心のネギには届かない。
「お父さん、おとうさん……」
顔を両手で覆い隠し、ネギはただそれだけをつぶやく。
自分が弱いことを知っているからこそ、何もできないまま死んでしまうのだ。
望まぬところでめぐり合った、自身のピンチの時。
勢いよく放たれた拳は。
「え……」
1人の青年の登場によって、いとも容易く止められていた。
パーカー付きのコートに、黒いシャツとズボン。トップが胸元に細長いプレートのようななにかのネックレス。
そして、ネギと同じ髪の色。髪型。
左手には杖。ネギの目の前に現れた青年は、右手一本で異形の拳を受け止めていたのだ。
「来たれ、虚空の雷……」
青年は魔力を逆噴射。拳ごとその巨体を吹き飛ばすと、
「薙ぎ払え!!」
―――雷の斧。
次に具現したのは、その巨体を真っ二つに斬り裂いた雷だった。
炎に包まれ粒子となって、脳天から2つに分かたれ消え行く異形の姿。その中を、青年は爆風ではためくコートを翻す。
それは彼らにとって、明らかな脅威だった。司令塔となっている翼を持った異形がその手を掲げ、奴を殺せと命じる。それと同時に、一斉に青年へと襲い掛かったのだが。
「っ!!」
彼は腕の一振りでその強襲を押さえ込んでいた。
さらに。
「来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹けよ南洋の嵐」
大きく引いた拳に纏う、爆ぜる稲妻。
それは、明日菜もよく知る魔法の1つだった。
―――雷の暴風!!!
しかし、威力は以前見たそれを軽く上回っていた。
ネギが前に放っていたそれを鉛筆で描いた直線とたとえるなら、目の前のこの青年が放った雷の暴風はそう……人の腕だ。
放たれた光線の太さだけでもそれだけの違いがあるのだ。その威力など、測るまでもないだろう。
広く展開した一条の光芒は一帯の異形たちを読んで字のごとく薙ぎ払い、山をも打ち抜いて消えていく。
次にネギと明日菜が見たのは、青年が1体のバケモノの首を鷲掴みにし持ち上げている光景だった。
『ソウカ、貴様ガ……アノ……』
笑う。大きく見開かれた眼がアーチを作り、輪郭の端に届くほどに大きな口が吊り上がる。
掴まれた首にはゆっくりと力が込められ、まるで死ぬことへの恐怖感を仰いでいるようにも見える。
『……コノ力ノ差。ドチラガ化ケ物カ、ワカランナァ……?』
しかし、青年の表情に笑みはない。彼はただ無言で、
……ゴキン。
首を掴んでいた手に、力を込めた。
そして、実際に恐怖を感じていたのは目の前で死んだ化け物ではなく、むしろ青年が助けたはずのネギだった。
目を見開き、身体を震わせつつも力なく立ち上がり、逃げるように走り出す。
……否、実際に逃げているのだ。
彼はまだ魔法学校にすら通っていない子供。いいことと悪いことの区別すら満足にできない子供。
そんな彼が逃げる。それは、人としての本能が告げたのだ。
逃げろ、と。
……
「立てるか?」
ネギと明日菜がいなくなり、小さく息をついた青年は、倒れたままのアスカに手を差し出していた。
懐かしそうに見つめるその瞳。見上げ、それを目にしたアスカは大きく目を見開く。
見覚えがあったから。懐かしかったから。そして……死んだと思っていたから。
「――……?」
「おう、――様だぞ」
にか、と笑ってみせる青年に、アスカの目からは大粒の涙が零れ落ちていた。
「で、立てるか?」
そんな青年の問いに、アスカは首を振る。瓦礫に思い切り身体を打ち付けて、身体が脳の制御を受け付けなくなっているのだ。
炎の手も目の前まで迫り、困った表情を浮かべた青年だったが、
「ネギのところに……行ってあげて」
そんな声に、目を見開いた。
彼の視線の先。そこで、弱々しく今にも死んでしまいそうな少年が笑っていたのだから。
「アスカ、お前」
「もともと、ネギに会いに来たんでしょ?」
痛みに耐えながらも笑みを崩さず、
「行ってあげてよ、僕は大丈夫だから」
アスカはそんな一言を告げていた。
……
この村だった場所はまだ安全ではない。
青年が散々殺しつくしただけでも飽き足らず、敵はまだ……残っていた。
「!?」
(ネギっ!!)
岩陰から飛び出してきた、1体の魔物。蝙蝠羽に尻尾、異形の角。風体だけならば御伽噺に出てくる悪魔そのもの。
実際、悪魔なのだろう。しかしそれを確認するには、知識も経験も足りなすぎた。
突然現れたその姿に、ネギは動かしていた足を止める。
悪魔の開いた大きな口に集まる、巨大なエネルギー。それはネギを貫き、街を破滅に陥れる破壊の光だ。
「……っ!」
両の腕で顔を覆いつくす。
しかし、その光が放たれることを防ぐ存在がいた。
「ネギっ!」
彼と悪魔の間に立ちはだかった、2つの人影。ネカネとスタン。
足から徐々に石へと変わっていくことを知った上でなお、ネギを守ろうと割って入ったのだ。
しかし、石化した足は魔法の行使に耐え切れず、ヒビが走る。さほど時を置かずして、地につけていたネカネの足が文字通り『折れて』しまっていた。
それを横目に、スタンは小さな瓶を懐から取り出すと、目の前の悪魔に向ける。
「六芒の星と五芒の星よ、悪しき霊に封印を」
それは、悪を封ずる聖なる瓶。
魔を退ける……否、封じ込める最終兵器。
「封魔の瓶!!」
抗う暇もなく悪魔と、さらに現れた黒い影が瓶の中へと封じ込まれる。
すでに石となってしまったローブの端を犠牲にして。
吸い込まれ、栓を締めた瓶を地面に落とし、スタンの身体が動きを止める。……もう、時間がないのだ。動くことすら出来ないほどに、石化が進行しすぎていたのだ。
「フゥ……無事か、ぼーず?」
「おじいちゃん……」
しかし、スタンはネギを安心させるようにそう口にした。
「ふん、大方村の誰かに恨みのある者の仕業じゃろう……この村にはナギを慕って住み着いた、クセのある奴も多かったからな……」
たった1人……ネギにもスタンにもわからない誰かを標的に、村ごと焼き払うその冷酷さ。
実戦を知らないネギは初めて、ここでその恐怖を実感していた。
誰かが苦しむこと。誰かが死ぬこと。そして、自分の力があまりにも無力だということも同時に、実感していた。
……
「くそぉ……」
もちろん、それは瓦礫を背に座り込んで動かないアスカも同じことだった。
頭上から一筋の血が流れ落ち、動かない四肢を忌々しげに見つめるその瞳には……大きな大きな悔しさが宿っていた。
自分がもっと強ければ。自分にもっと力があれば。
そんな後悔に似た感情が渦を巻き、アスカを痛めつける。
「くそぉ、くそぉ……」
その場にすでに青年はいない。
アスカの言葉に応えて、ネギを追いかけたのだ。もちろん、アスカが命を落とさぬようにと周囲を危険を排除して。
仮にも彼は男だから……もっとも、まだ年端も行かない『男の子』だけど。1人だからこそ、悔しさに心が染まる。
『強くなれ、アスカ』
去り際の青年の声がリフレインする。
かつて彼が所属していた紅き翼のメンバーのように。彼と行動を共にしていた仲間たちのように。
「……強くなる。僕、強くなるよ」
ようやく動くようになった腕でぐしぐしと涙を拭い、アスカはその紅い瞳を燃え盛る炎に向けたのだった。
……
「じゃが、召喚されてきた下位悪魔どもの数と強力さ……相手も並の術者じゃあるまい」
本来なら、村の魔法使いたちが集まれば軍隊の一個大隊にすら引けを取らない強さを誇るのだが、突然の強襲に対応できず、被害は甚大。
万が一の備えだけでも対応できず、この状況。結果だけなら悪魔たちの勝利は揺るがない。
身体ほとんどがすでに石となっているスタンの表情がゆがんだ。
「逃げるんじゃ、ぼーず。お姉ちゃんを連れてな。ワシャ、もう助からん……この石化は強力じゃ。治す方法は……ない」
「おじいちゃん……」
ネギの涙すら浮かんだ心配そうな表情に、スタンは笑みを浮かべる。
「頼む、逃げとくれぃ……どんなことがあっても、お前たちを守る。それが、死んだあのバカへのワシの誓いなんじゃ」
だから、と。
もはやほとんど動かない口を動かし、言葉をつむぐ。
「誰か、残った治癒術者を探せ……石化を止めねば、お姉ちゃんも危ないぞい」
そして、ついに。
「さあ、ぼーず。この老いぼれを置いて……はや、く」
スタンは全身のすべてが石へと変わった。
動きをなくし、冷たい石像となってしまった彼の顔を涙目でぺたぺたと触れて、一際大きな涙粒をこぼしたのだった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……起きて」
石化の進行する姉を起こそうと身体をゆする。
悪魔たちはもういない。ただ、膨大な熱量を発しながら燃え盛る炎が彼らを遠巻きに包んでいるだけ……危険がないとは、とても言い難い。
しかし、ネギはまだ幼い。1人では生きていけないほどに。
アスカは怪我で満足に動けず、ネカネの状況も今の通り。このままではどの道、彼も生きていけなくなる。
必死に姉の身体をゆするネギの背後に、
「あ……」
1つの人影が現れた。
杖を携え、パーカーで頭をすっぽりと覆っている……先ほど彼を助けてくれた青年だった。
その影に気づいた彼は、練習用の魔法杖を手に青年と対峙する。
雪の舞う小高い丘の上。
青年は表情を変えずに、ゆっくりとその一歩を踏み出した。
「そうか、お前がネギか……」
ネギの前で膝をつき、その手を彼の頭に乗せた。
慣れない手つきで撫でつけると、
「大きくなったな」
そんな一言を告げる。
そしてその言葉に、ネギは大きく目を見開いていた。
「お、そうだ。お前に……この杖をやろう」
青年は右手に携えていた杖をネギに押し付けるように渡す。
その杖はまだネギには早いの、か持たされた途端に軽くふらついた。
「……俺の形見だ」
「!?」
ふらついたネギに苦笑しながら、青年はゆっくりと立ち上がる。
「もう、時間がない。ネカネの石化は止めておいた……あとでゆっくり治してもらえ」
―――お父……さん?
そして、同じようにふわりと浮かび上がる。
まるで成仏する幽霊のようにゆっくりと、笑顔で天へと上っていく。
「悪ぃな。お前には何もしてやれなくて」
「!? お父さん!!」
……ネギは確信した。彼は伝説のサウザンドマスターで、世界最強の魔法使いで……自分のお父さんなのだと。
だからこそ、彼を追いかける。ようやく会うことが出来たのに、また離れ離れになるなんて。
彼に会うために、自分がどれだけ危険なことをしていたか、今になっても鮮明に思い出せる。
吼えかける犬の鎖を断ち切って追い回されたり、飛行手段もないのに高い樹に登ってみたり、冬の冷たい湖に飛び込んでみたり。
「こんなこと言えた義理じゃねえが……元気に育て」
「お父さん!」
「幸せにな!!」
「お父さ……っ!」
つまずき、べしゃりと転ぶ。次に顔を上げたその先には、すでに青年の存在は消えていた。
視界には映っているのは夜空と、炎に照らされて朱色に輝く雪。
もう会えない。ようやく会えたのに、もう終わりなんて。
「おとうさあ―――ん……!!」
ネギはただ誰もいない虚空に父の姿を見、声を上げて泣いたのだった。
●
(す、すいません……みっともないところをお見せしてしまって……)
(あっ、いや……ううん、別になんでもないわよ!!)
明日菜は泣いていた。
協力し、喧嘩し、笑いあっていた自分がここにいるというのに、彼はこんな体験をしていたのだ。
家族に会う為だけにどれだけのことをして、どれだけがんばって、どれだけ悲しんだか。
それが今、彼女には強く感じられたのだ。
ぐしぐしと涙を拭って、聞こえてきたネギの声に答えを返す。
(この後、どうなったの?)
(はい……)
そのあとの経緯を明日菜に見せることはなく、ただ声だけが明日菜の頭に響き渡った。
ネギとネカネ、離れた先で火傷、出血もそのままに意識を飛ばしていたアスカの3人は襲撃の3日後に救助され、今までいたこの村からウェールズの村へと移り住むことになる。その後5年間は魔法学校で勉強の毎日。もう一度会いたい。自分を助けてくれた立派な魔法使いだった父親に会いたいと、そう願って。
(でも、僕は今でも時々思うんです―――)
ネギは言葉を続ける。
父に会いたいから、という理由で、わざと危機に陥いろうと奔走したから。
(『危機になればお父さんが助けに来てくれる』という言葉をずっと信じていた、僕への天罰なんじゃないかって……)
その言葉に、明日菜は耳を疑った。
父親に会いたい、なんて無垢な子供の思いを、誰が悪いと言うだろう。
……ネギのせいじゃない。悪いのは全部、村を襲った悪魔たちなのだから。
否定、しなければならない。そう思うからこそ、
「なに言ってんのよ!? そんなことあるわけないじゃん!」
なによあの変な化け物、バッカみたい!!
とにかくまくし立てた。
確かにネギは子供にしては重すぎる体験をしたと思う。でも、今の彼が考えていることは間違いだ。
……何度でも言おう。ネギは悪くない。何も悪くない。
「大丈夫! お父さんにだってちゃんと会える! だって、生きてんだから!!」
そう、ネギは死んでいないのだ。そして、彼の父親も死んではいないと信じる。
探そうとしている本人が信じているのだから。そして、
「任しときなさいよ。私がちゃーんとアンタのお父さんに……」
会わせてやる、と口に出そうとして、固まった。
ネギの背後、明日菜の視線の先。
そこで、一緒にこの『別荘』に来ていたクラスメイトたちがみんなして大泣きしていたのだから。
「ネギ君に、そんな過去が……」
「ネギせんせぇ〜……」
おじいちゃんが〜〜……
和美が目尻にハンカチを当てつつ、のどかが目から滝のような涙を流しつつ。
『ネギ先生〜!!』
みんなして塔の端っこに押しかける。
背後は柵も何もないのだ。落ちたらそれこそ怪我じゃすまない。
慌てて両手を床に置きつつ自身を支える。
「き、聞いてたんですかみなさん!?」
「ネギ君! 及ばずながら私もネギ君のお父さん探しに協力するよ!」
「ウチもーっ!!」
「ワタシも協力するアルよ!」
「わわ、私も〜」
和美に木乃香に、古にのどか。
みんなしてネギの父親探しに協力する、なんて口にするが、実際はかなり危険なのだとネギは思っている。だからこそ、パートナーとして見ることに決めた明日菜には話しておこうとしただけなのに。
他のみんながなぜ聞いているのかといえば、のどかの持っている本のせい。
彼女がそれを持っていることには、もちろん気づくわけもない。
「協力ってそんなのダメですよ! ま、師匠……なんとかしてください!」
「いや、まぁ……私も協力してやらんでもないが」
「ちょっとちょっと! そうじゃなくて師匠〜〜!?」
エヴァまで少しばかり涙ぐんでいるようだった。
「ほいじゃ、ネギ君のお父さんが見つかることを祈ってぇ〜〜……」
『カンパーイ!!』