「くくくくく……」
黒髪の少年は笑みを浮かべていた。頭上には獣耳をおっ立てて、一張羅ともいえるだろう黒い学ランは泥だらけ。
その身一つで京都から麻帆良まで一週間、歩き詰めてきたのだ。
富士の樹海に迷い込んだときには生きた心地がしなかった。
熊に追いかけられ崖から落ちかけ、空腹で餓死しかけつつもなんとか生きながらえた。
それでもなお、一週間かけてようやくたどり着いたのだ。・・・途中で電車に乗ればいいものを、律儀にずっと歩き続けて。
「はーっはっはっはっは!!」
そして今、彼はとてもハイになっていた。
降りしきる雨の中、子供らしからぬ豪快な笑い声を上げる。雄々しい大自然が彼を野生に戻らせたのか、あるいはただアドレナリンが大放出されているのか。
「着いた……着いたでこんちくしょー!!」
どちらにせよ、満足に睡眠すら取っていない状態なのだ。体力も、もはや限界に近づいていた。
それなのに彼は、今のようなテンションをここ数時間続けている。
「見たかリバーにいちゃん!! オレかてやるときはやる男なんやー!」
両手を上げ、豪語する。彼は人の限界を超えて、この一週間。飲まず食わずで過酷な世界を超えてきたのだ。
賞賛か……むしろ哀れだと思われるのがオチかもしれないが。
その力は、野生の目覚めと過酷な世界が鍛え上げたに違いない。
しかし。
「はよ行かな……」
その雨は容赦なく、すずめの涙ほどの少年の体力でさえ奪い取っていく。
「ネ……ギ、の……」
目的地にたどりつけた安心感か、純粋に体力が底をついたのか。
少年――犬上小太郎はその場にひざを着き、倒れこんでしまったのだった。
●
そして、もう一方では。
「つ、着いた……」
全力で息切れしている青年がいた。透明のビニール傘をさし、背中には小さなショルダーバッグを背負って。そして、腰にはその風体にそぐわぬ一振りの刀が差されている。
京都を発ってから一週間。目的地まで5時間という道のりだったというのに、むしろ問題だったのはその5時間後のことだった。
電車を降り、ホームで迷うこと数時間。改札を出てから目的地へ向かう電車に乗り換えるのに3日。最寄の駅のはずが、その広い広い学園都市内で残りの4日。迷いに迷って一週間。ようやくたどり着いたのは、強い雨降る6月のことだった。
「腹減った……とりあえずメシだ、メシ」
うつむき、のろのろと歩を進める。校舎は目の前なのだ。迷うことなどありえない。
自分はただただまっすぐ、目の前の校舎へと突き進めばいいのだ。
……で、その十分後。
「迷った……」
今度は校舎内で迷っていた。
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
雨の中で
「うぅ……」
意識が朦朧としている。目を開けているか閉めているかもわからないまま、ただぼーっと目を動かす。
感覚もない。まだ身体そのものが活動を開始していないのかもしれない。
実際、それほどに疲れていたのだ。たった一度の戦闘で。
相手は今まで相手にしていた低級な悪魔や妖怪たちとは違う。彼の力は洗練された魔法使い……否、戦士のそれだ。
そんなバケモノを相手に長く戦っていられて、腕を焼かれて死ななかっただけマシだった。
「っ!!」
焼かれた腕のことを思った瞬間、頭の中がクリアになる。
……そうだった。自分は腕を見事に焼かれたんだった。
眼下を見やれば、包帯でぐるぐる巻きにされた自身の左腕がはっきりと見て取れる。
手酷くやられた。それだけは覚えていた。
最後に放ったあの黒い集束砲。高速で放たれたそれを、完全に躱しきることができなかった。
……目の前だったから、壁が破られた瞬間に回避行動を起こして、左腕だけで済んだだけでもよしとするべきなのだ。
ベッドの脇に、薄い紫が見える。
「あ……こ」
自分が連れてきた、友達だった。白い包帯に巻かれた腕を庇うように、静かに寝息を立てている。
守りきれてよかったとは思うけど。
「くっ……」
まもれなかった。一人では、ダメだった。
アーニャがいてよかったけど、それじゃ……ダメなんだ。
「ずっと、そばで看病していたのよ?」
「!?」
うつむいていた顔を上げると、そこには。
「ネカネ……!?」
ネギの姉がいた。自分を麻帆良学園へ送り込んだ張本人がいた。自分の大事な家族がいた。
紺のローブを纏い、流れるような金髪がなびく。
2つの蒼い目がアスカを映し柔らかな笑顔を見せた彼女は、どこか自分に安心感をもたらしてくれていた。
「なんで、ここに?」
「貴方に危険が迫っていたから……」
ネカネは小さく舌を出すと。
「……だったらよかったのだけど、ね」
照れるように頬を赤く染め、笑っていた。
聞けば、彼女は事前にアーニャに呼ばれていたという。アスカ――『白き舞姫』が名指しされたのと同時期に。
彼女の先輩魔法使いがアスカを呼び、それと同じようにアーニャはネカネを呼んだのだろう。
もっとも、彼女があの場に出くわすとは思わなかったらしいが。
「うぅ……んぁ」
声に気づき視線を下へと向けると。
「あ、アスカ! よかった、気づいたんやね!」
寝起きの亜子が嬉しそうに笑っていた。
友達を守れたのだという実感が、その笑顔を見れただけでわいてくる。でもそれは、仲間がいたから守りきれた。
別に一人で守りたかった、というわけではない。問題なのは、自分自身が未だに守りきれなかったことを払拭できないまま。
どうしても、けじめをつけられずにいた。
「よかったわホンマに! ネカネさんのおかげで、腕も大丈夫やって!」
ほんの数日安静にしていれば、腕は問題なく使えるようになるとの事。
それはそれでよかったと思うけど。
割り切れない思いもある。
「ひゃあっ!?」
亜子の身体に抱きついた。
華奢な身体。少しでも力を込めれば折れてしまいそうなその身体を、力いっぱい抱きしめる。
彼女は頬をあからめ、突然の行動に慌てている。その姿をどこか、可愛いなぁと思う自分がいて。
自分で自分が可笑しかった。
こんな状況なのに、亜子に抱きついて笑っている自分が。
「亜子が生きててよかった……ホントによかった!!」
目尻には、涙がたまっていた。
それを認めたくなくて、ただただ笑うしかなかった。
それから3日。
アスカの腕は、なんだかんだでほぼ完治した。
「さて、と。今日で診察は終わりよ」
「ありがとうネカネ。さすがだね」
彼女は薬術のエキスパート。もげてさえいなければ手でも足でも治してあげる、なんて言って笑っていたが、言うに劣らない能力だと思う。
あれほど酷い状態だったアスカの腕が、ほとんど綺麗な状態にまで戻ったのだから。
「でも、あんまり無理はさせないでね。あと一週間くらいは」
「……わかったよ」
そんな会話を、亜子は呆けた顔をして聞いていた。
隣にはアーニャ。彼女はまだ駆け出しの魔法使いで、その方向性も見出していないからこそ、その会話を呆けて聞くしかなかったのだ。
アスカの腕に赤い包帯を巻いていく。色が赤なのは、この包帯が特別な包帯だからだ。
最低一週間、腕の必要以上の行使を抑制する魔法をかけた包帯。
それは、彼の性格を考えてネカネが施した保険だった。
「手、動く?」
ネカネの問いに軽く手のひらを握って開いてを繰り返し、問題ないとわかれば小さくうなずいた。
…………
……
…
「お話しておいた方がいいと思うんです。パートナーのアスナさんには」
所変わって、時間もさかのぼって、アスカが目を覚ましたのと同時刻の麻帆良学園。エヴァ家にあるエヴァの『別荘』。本来はただのミニチュア模型にしか見えないこの場所だが、なんと1時間を1日に伸ばしてしまうという魔法の模型であった。
事の始まりはネギが酷く疲れている様子をかもし出していることをアスナや木乃香といった彼の実情を知る面々が心配し散ることから始まった。
休みが終わってもアスカと亜子は帰ってこないから、何か知っていても聞けないし、なにより無理しすぎているのではないかと特に明日菜が心配しまくっているのだ。
で、授業後ネギがふらふらと出かけた先まで尾行し、たどり着いたのがエヴァの家。のどかや夕映、古菲といったメンバーも同行し、ついに見つけてしまったわけである。エヴァの『別荘』を。
そこでネギが修行をしていることを知り、同時に魔法使いの世界へ足を踏み入れる決心をした木乃香とのどか、そして夕映に、教え子を巻き込んでしまったショックを受けつつも魔法のレクチャーをするネギ。
たった1時間という長さでのことだが、その毎回がお祭り騒ぎになっていた。
そんな時の話。
みんなが寝静まったあとにも稽古に励むネギを見て、
「がんばるわねー、さすが魔法先生」
なんて、明日菜が話しかけたことが始まりだった。
体感時間では夜。しかし現実の世界ではまだたったの20分位しか経っていない。月が夜空に浮かび、眼下に広がる波の音が耳にやさしく響いていた。
「……いいけど、何の話?」
「僕ががんばる理由……です」
今の彼の始まりの場所。6年前の雪の日の、悲劇の場所。
ネギが今この時間もまっすぐ、がんばり続ける理由を。
同時刻。女子寮の665号室。那波千鶴と村上夏美、そして委員長である雪広あやかの部屋。
雨の中で倒れ衰弱していた黒い犬を拾った千鶴と夏美はその犬を拾って部屋へ戻ったのだが、それから時間もたたないうちに犬がネギと同じ年頃の少年の姿になっていた。
その後でも首筋に手刀突きつけられたり千鶴が肩口をけがしたりと、まぁいろいろとあったのだが。
それだけでただの家出少年じゃない事だけは理解して、裸だった少年に持ち合わせのシャツを着せつつソファに寝かせる。
「なんか寝言でネギって言ってるよ――っ?」
「あら♪」
夏美が食事を作ろうとエプロンを装備している千鶴に声をかけてみるが、帰ってきた千鶴の声はどこかさっぱりしたものだった。
……というか、どこか嬉しそうに。
「そういえば、風邪のときはネギをお尻にさすといいらしいわよ?」
温熱効果とかで身体が温まって……
なんていいながら、すでに千鶴は右手にネギを装備していた。
……まさか、ホントにさす気!?
ネギを握った手の袖を腕まくり、
「ちょうどあるわ♪ じゃあ早速、やってみましょうか」
「わぁー! ダメダメちづ姉。見ず知らずの子にイキナリ……」
しかし夏美によって止められていた。
「うぅ〜ん……伝えな……」
そのそばでドタバタしているのを尻目に、少年は苦悶の表情を浮かべる。
「はやく、あいつに伝えな……」
あいつ、というのはもうご存知のことだろう。
ネギ・スプリングフィールドのことである。
伝えなければならない。近い将来、彼の身に危険が迫っているのだから。