「…………むー」
久々の仕事を受けて一晩経った。
結局帰宅後も亜子に話をできず、アスカはとりあえず準備だけを着々と進めていた。
ちなみに当の本人は、今ネギの修行を見学に行っている。
彼女なりに思うところがあるのだろう。その思うところ、というのが、アスカにとって悪い方向へ進んでいるようにしか見えないのだけれど。
「えっと、パスポートはあるしお金も下ろした。仕事着はカバンに詰めた。あとは……」
旅に必要なものを指折り確認。
仕事に大きい荷物を持ち込むことを嫌う彼の準備は、指折り確認で事足りるのだ。
足りないものは現地調達が基本。
あとは銀行へ行って日本円をポンドに換えなければならない。
レートが変動するのでできれば安い時に換えたいところだが、なにぶん急なため仕方ない。
小さくため息を吐いて、アスカは銀行へと向かったのだった。
ゴールデンウィークということもあり、学園都市は非常ににぎわっていた。
商店街は買い物客でごった返し、商売人たちは商品を売ろうと必死に声を上げている。
そんな中をアスカは1人、人ごみを避けながら闊歩していた。
まだ日も高く、時間がたっぷりあるからだ。
CDショップへ立ち寄って試聴用のヘッドホンを耳に当ててみたり、顔見知りの八百屋の親父さんと挨拶したり。
しばらく見れない街並みを、すこしでも見ておこうという魂胆だったわけだ。
結局、銀行にたどり着いたのは空に赤みが差し始めた時分だった。
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
まだまだ
「あーもぉっ! なんだよあの店員はーっ!!」
アスカは怒っていた。
彼を応対した銀行員の態度の悪さと、手際の悪さ。
さらに行内が異様に混み合っていたため、かなり待たされたことが見事に重なり、彼をイラつかせていたのだ。
イラつきの原因は九分九厘銀行員のせいなのだが。
ようやく手にしたポンド通貨を提げていたカバンに乱雑に突っ込んで、のっしのっしと外へ。
すでに空は真っ赤に染まり、カラスが鳴いていた。
タイムセールでごった返すスーパーの前を素通り、寮へと続く道を歩いていたわけなのだが。
「あれ……?」
1つの人影を前方に認めて、
「アスナーっ!」
声を上げ手を振った。
周りには人はほとんどおらず、声を張り上げたアスカを気にすることなく各々の目的を達成せんと歩いている。
呼ばれた人影は振り向くと。
「なによ!!!」
顔を真っ赤にして怒っていた。
もちろん、先ほどのアスカの怒りなんかとは比較にならないほどに。
突然怒鳴られて驚かない人間などいない。もちろんアスカもそれに当てはまらないわけがなく、びくりと身体を硬直させて顔を引きつらせた。
「何か用!!??」
「いや、前にアスナがいたから呼んだだけなんだけど……なにかあったの?」
烈火のごとく怒っている明日菜に尋ねる。
すると彼女は、いともあっさりと事の経緯を答えてくれていた。
ネギの修行に仮パートナーとして参加した彼女だったのだが、聞けば彼は今朝、図書館島の奥地に行ったらしい。
なんでも夕映とのどかが発見した暗号、つまりサウザンドマスターの手がかりが図書館島の奥に続いていたからだとか。
で、待ちに待った父親の手がかりだと意気揚々と向かってみたら、そこには現代に……というか本の中でしか見たことのないようなファンタジーが広がっていたのだそうだ。
剣と魔法のファンタジー、敵はドラゴンと相場が決まっている。というわけで、ドラゴンがいたのだ。
1人でなく夕映やのどかもついていったらしく、危険極まりない状況だったのだから、なぜ自分を連れて行かなかったのかと明日菜が問い詰めてみれば、帰ってきた答えは、
「アスナさんは元々、僕たちとは関係ないんですから、いつまでも迷惑かけちゃいけないってちゃんと考えて僕――」
なんてのたまったのだそうだ。
『関係ない』の一言がカチンときたらしく、修学旅行から帰ってきてからこっち刹那と剣の稽古もしていたのにと。
自分なりに頑張っていたのに『無関係』などといわれれば、誰でもカチンと来るだろう。
頑張れば頑張るほどに。
「ガキの癖に生意気言うし……っ!」
なにより、頑張る先生を応援していた自分をそんなふうに考えていた。
無意識に突きつけられた事実に、明日菜は少なからずショックを受けていたわけだ。
以前、アスカもネギと同様に『関係ない』と明日菜に言ったことがあったが、あの時は修学旅行の前だったし、彼女の考え方も今ほど固まっていなかったからこそ、それほど怒りを感じなかった。
しかし、今回は別。修学旅行での一件で彼女は学ばされたのだ。
魔法の世界の危険性を。
そんな危険な世界にネギのような小さな子供が1人でいるのを、放っておけなかった。
だからこそ刹那に剣の修行を頼んだし、自ら望んでやっていたからこそ稽古は楽しかった。
で、その後で子供じみた口論になり、結局ハリセンでどついてここにいると。
「そっか……色々と難しい年頃だね」
「あんたも私と同じ年でしょうが」
ネギはただ、『明日菜は魔法の世界とは関係のない人間だから、あまり危険な目に遭わせて迷惑をかけたくない』と言いたかっただけ。
しかし明日菜は、『自分は無関係なただの中学生なのだから、首を突っ込んで欲しくない』と解釈してしまったのだ。
日本語というのは、かくも難しいものである。
アスカは明日菜のツッコミをあっさりとスルー。
ぽんと肩に手を置くと、
「まぁ、相手は10歳だからね。なかなか割り切れないと思うけど、こっちが妥協しないといつまでたっても仲直りできないよ?」
「べっ、別に私はそんなつもりは……」
「まぁまぁまぁまぁ。気持ちはわかるけど、ここは1つオトナなアスナを演……」
「茶化すなバカち〜んっ!!」
「ぽげらぁっ!?!?」
●
「ところでさぁ」
「?」
ようやく明日菜の機嫌が治まって、周りを見れる余裕が出てきてから、
「アンタその荷物……どっか行くの?」
気がついた。彼の持つ幾ばくかの買い物袋に。
年に一度のゴールデンウィーク。長期休暇だ。旅行に行くのだと考えるのは自然かもしれない。
もっとも、中身は日本円の入った財布とポンド通貨の入った封筒。それと今晩の食事の材料。
明日菜はただ深読みしすぎただけなのだが。
「う〜ん……当たらずとも遠からず、ってトコかなぁ」
「ま、長い休みだもんね。旅行?」
そんな問いに対して、アスカは首を横に振った。
「仕事」
「しごと……?」
前に言わなかったっけ、と記憶を遡ってみる。
遡ってみてようやく言ってなかったことに気付くと、自分が退魔の仕事を請け負っていたことを話した。
明日菜はネギが赴任してからずっと魔法の存在を知っていることもあり、最初から隠す必要などない。
今まで話さなかったのは、ただ機会がなかっただけのことなのだが。
「“白き舞姫”なんて通り名がついてることが最近わかってさ。ショックだったよ」
「あぁ〜……」
先日、明日菜はアスカが男であることを知った。
だからこそ、舞姫という通り名がショックであることが理解できた。
「どこで?」
「ロンドン」
「…………」
返ってきた答えに明日菜は耳を疑った。
ロンドンといえば、日本のほぼ裏側に位置する都市ではないだろうか、と。
っていうか、確かにこの長期休暇で海外旅行へ行く家族は存在するが、仕事でそんな遠くまで行くのかという疑問が彼女の頭を占めていた。
さらに言えば、今現在のアスカの立場はただの学生。退魔師としての彼は今、いないはずなのだ。
「なんかさ、向こうが僕を名指ししてきたんだよ」
依頼主の素性はよく聞いておらず、学園長曰く「行けばわかるわい」の一点張り。
アスカの知り合いなのか、過去の依頼主が再び依頼してきたのか。
はたまた恐怖のネギ姉か。
答えがどれであれ、厄介ごとであることに変わりはない。
「亜子ちゃんはどーするのよ?」
「うぐ……」
さらに続く明日菜の問いに口篭る。
実際、どう話を切り出すか考えている最中だったから。
今現在のアスカのパートナーは亜子で、彼女の魔力を借りて戦うからこそ、話はしなければならないのだが。
「ウチも行く!」とか言い出しそうで正直、切り出しにくかった、というのが現状だった。
それを明日菜に話してみれば、
「あはは、バカね〜」
なんてのたまってくれていた。
「……あのね。それって、アンタもネギと同じじゃん」
「同、じ……?」
明日菜は言う。アスカの意思を明確に読み取って、その先を予測して。
ネギの場合は、迷惑をかけたくないから。そして、アスカの場合は亜子を危険から遠ざけたかったから。
実際、亜子はネギの姉ネカネを超える魔力を有している。しかしまだ魔法の世界を知って日が浅い上に争いを好まない優しい性格。
そんな彼女を、ただ戦いに巻き込みたくなかったのだ。
しかし、それがいけないのだ。
「アスカは今、あの子を巻き込みたくないからって一方的に自分の意思を押し付けようとしてんのよ」
「う……」
間違ってる?
明日菜にそう問われて、返す言葉を失った。
実際、その通りだったから。大きな魔力を秘めているからこそ、あらゆることから守る。そんな誓いを引き合いに出して、戦いそのものから遠ざけたかっただけ。
アスカは幾つもの戦場をひたすら走ってきたからこそ、その危険性を重々理解している。
ヘタをしたら死ぬかもしれない状況なのに、そんな場所に素人を放り込めばどうなるか……結果は目に見えている。
だからこそ、の意思だったのだが。
「ちゃんとあの子の意見を聞いてから決めなさいよ、色々ね」
明日菜は最後の一言と同時に笑みを作り、ウインクをして見せた。
「ようはまだまだ子供なのよね。アンタも、私も」
そんな明日菜の言葉があったからこそ。
「亜子。ちょっと、話があるんだけど」
「ん、なんや?」
帰宅後すぐに、事の相談を持ちかけることができていた。