「……らァ!」
「ほっ」
拳が交差する。
散りつつある桜の花びらを吹き飛ばし、乾いた音が響き渡る。
見ると儚い桜吹雪の中、二人の男が自らの拳を合わせていた。
縁側には和服の男性が腰掛け、笑顔で茶をすすっている。
男の片方――獣耳の少年は本来なら反省室なる部屋にこもっていなければならないのだが、対峙している男の助言もあって勝手に外で動き回っていた。
彼を閉じ込めておくべき男性も、それを許容してしまっているのだが。
「おーおー、ガキのくせにやるなぁ」
「うっせ。ガキって言うな!」
戦況は少年が押していた。
攻撃一辺倒で、防御の気配がまったくない。
しかし、対する青年は涼しい顔でそれらの攻撃すべてを捌ききる。
普段使っている刀は腰になく、縁側に立てかけられていた。
「……ばーか。先が楽しみだっつってんだ」
青年はなんら屈託もない笑みを見せる。
それでいて速度の上がる拳打の応酬。
何回打ち合ったかもわからない。それでも少年の攻撃の手は止まらず、無論青年の防御も止まらない。
両者共に、楽しそうに拳を打ち合わせていた。
「ずずず……う〜ん、平和ですねぇ」
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
全力全開で
今日は休日だった。
昨日まで修学旅行で京都に行っていたこともあり、中等部三年はみんな休み。
そんな中、アスカは一人、部屋を出ようとしていた。
長ズボンに薄手の黒シャツ。その上にカジュアルなジャケットを羽織り気だるげに大きくあくびをしつつ、靴を履く。
学園長に色々と報告するためだ。
特に荷物を持っているわけじゃない。
詠春からの頼まれごと、ちゃんとこなさないとな。
そんなことを思いつつ、外に出たのだが。
「さ、行くよ!」
「……へ?」
まき絵に手をつかまれていた。
どこへ?
そう聞かれる前に、有無を言わさず引っ張られる。
亜子はまき絵と並走し、妙に嬉しそうだ。
修学旅行で疲れているはずなのに、元気だとアスカは思う。
報告がなければ、今ごろベッドで惰眠を貪るところだ。
アスカをつかんだまき絵と亜子は寮の廊下をひた走り、一つの扉の前で足を止める。
そこは。
「643号室……?」
明日菜と木乃香、そしてネギの部屋の前だったりする。
「おーい!!」
さらに、自分たちと同じようにかけてくるのは裕奈とアキラ。
さも申し合わせたかのように合流すると、ノックもなくその扉を開けていた。
そう。ババーン! と。
「遊びに来たよーっ!!」
ドカドカとあがりこむと、すでにあやかと和美の姿が。
ネギはというと、部屋中央のテーブルで京都土産の八つ橋をかじっていたりする。
そして、さらにチア三人組やら鳴滝姉妹までもが乱入し、本来二人部屋である643号室は大賑わいとなっていた。
「出てけーっ!!」
声を上げた明日菜の気持ちも、わからなくもない。
……
で。
「なんで僕はこんなところに?」
「そんなこと言わないで、付き合ってよ」
ね?
ネギに引っ張られて、とある小屋の前までやってきていた。
隣には明日菜の姿があって、
「弟子入り?」
この小屋の主、エヴァンジェリンに弟子入りすることが彼の目的だった。
明日菜が付き添っているのは、単に成り行きだったりするわけだけど、彼女なりに思うところがあるのだろう。
「守らせてください」なんて口にする十歳の少年の言葉に頬を赤らめていたりしたが。
そこで尋ねてみたら……
「あれ、アスナ熱でもあるの?」
「へっ……!? いいいいや、違う違うなんでもないってば!!」
逆ギレされました。
その後、エヴァ宅である小屋に上がりこんだネギは早速エヴァに頼み込んでいた。
京都での事件で力不足を実感した。
麻帆良へ来るまでにも必死になって魔法を覚えてきたのだが、それだけでは足りない。
たくさん召喚された鬼たちはアスカをはじめ古菲、真名、亜子。スクナはリバー。白髪の少年を自分と明日菜でようやく退けられた。
明日菜をはじめとしたたくさんの友人に力を借りて、ようやく事件を解決できたのだ。
だから、もっと力がほしかった。
ただ自己満足のためかもしれない。
それでも、彼は守りたかった。
この修行の地でできた多くの友達を。
「一応、貴様と私は敵同士なんだぞ!? サウザンドマスターには恨みもある!」
戦い方だけならタカミチに教わればいい。しかし、彼は彼で仕事がある。
それが非常に忙しいのだから、無理を言うことはできそうにない。
隣で苦笑するアスカでも問題ないのだが、彼の戦い方は我流に近い。それに魔法がらみはからっきし。
だからこそ、『魔法使い』としての戦い方を学ぶならエヴァンジェリンしかいない。
彼なりに、よくよく考えて出した結論だった。
「ほう……」
それを聞いてか、エヴァの表情が変わる。
何かを思いついたかのような、少しばかり嬉しそうな笑みに。
「……本気か?」
「ハイっ!!」
「ならば……」
足をなめろ。
それは、下僕としての忠誠の証だという。
ネギの目はそれを耳にしたとたんに点になっていた。
無論、それはアスカも同じで。
「アホかーっ!!」
スパーンっ!!
代わりに明日菜がアーティファクトのハリセンでツッコミを入れていた。
彼女のハリセン……もとい、アーティファクトは、魔法そのものを無効化する。
つまり、魔法障壁すらあっさり無視して対象を攻撃できるという、全世界の魔法使いの天敵。
それが誰の障壁であろうが関係なく、ハリセンはエヴァに届いていた。
まさに一瞬の出来事。
従者の茶々丸ですら反応するまもなく、エヴァはベッドの上を転がった。
「マスターに物理的なツッコミを入れられるのは、アスナさんだけですね」
……否。
反応などする必要ないと、彼女なりに理解していたらしい。
「貴様、弱ってるとはいえ真祖の障壁をテキトーに無視するんじゃない!」
「そんなことよりエヴァちゃん!!」
「そっ、そんなこと!?」
自身の魔法障壁を破られたことを『そんなこと』呼ばわりで、なおエヴァは激昂する。
もっとも、ハリセンの痛みが強くて涙しか出ないけど。
「ネギがこんなに一生懸命頼んでるのに、ちょっとヒドイんじゃない!?」
「頭下げたくらいで物事が通るなら、世の中苦労せんわ!」
そう声を返した刹那、エヴァの表情に笑みが浮かぶ。
何かを感じ取ったかのように先ほどまでの軽い怒りを孕んだ表情から一転した。
「それより貴様……なんでぼーやにそこまで肩入れするんだ?」
ホレたか?
どこか含みのある笑みを見せながら、そう口にした途端、明日菜の顔の赤みが強まる。
違う違うと連呼しながらも耳まで赤くなっており、とてもじゃないが説得力など皆無だ。
「……ホレてるの?」
「ちっがうわよ!!」
否定している彼女の顔は、まるでトマトのように真っ赤だった。
そのまま明日菜とエヴァがもみくちゃのケンカに突入したのだが、ネギの呼びかけでやっと止まると。
「わ……わかったよ。今度の土曜日、もう一度ここに来い。弟子に取るかどうか、テストしてやる」
そんな約束を取り付けることになんとか成功した。
結局、僕はなにしに来たんだろうかと首をかしげながら当初の目的である学園長の元へ行こうとしたのだが。
「おい、神楽坂飛鳥」
「へ?」
エヴァに呼び止められていた。
視界に納めた彼女の表情に、なにかいやな予感を感じ取る。
「な、なにか……用?」
「…………」
聞き返す。
しかし、エヴァは明日菜とネギに視線を向けると、
「……いや、後でいい。そうだな……一時間後にまたここへ来い。いいな?」
それだけ言うと返事を聞くことなく、背を向けてベッドに寝転んでしまっていた。
……
(やばい、私まだ顔赤いんじゃない? どうしちゃったのよ私ってば……)
アスナは困惑していた。
ネギの顔をまっすぐ見れず、見れば心臓は跳ね、熱が顔に集中する。
致命的なのは、その跳ねる心臓がまったく止まらないことだ。
修学旅行を通して自分でも気づかないうちに……?
そんな錯覚すら覚えてしまう。
否、錯覚じゃないかもしれないのが彼女からすると困ることこの上なかった。
「バレるとオコジョなので、僕のことは……」
道すがら真名、楓、古に自分のことを口外しないようにと頼み、そのまま三人は学園長室へ。
布団に寝そべり腰元に氷水を当てて冷やしている学園長を前に、ネギとアスナ、そしてアスカも労いの言葉を頂戴した。
アスカにとってはここが目的地だったから、都合がいいといえばいいのだが。
「……このかの魔力を媒介に現れた青年か」
七天書の守護者たちの登場も含めて、報告のメインはそこにあった。
召喚された大鬼神を破壊するほどに巨大な力を持つ青年だが、消えてしまうのは時間の問題。
木乃香の魔力を通して現界している。つまり、彼女が青年への魔力供給を切るか、彼女を物理的に消す――殺すことができれば彼は消えるのだが、運のいいことに彼に害意は皆無。
それは詠春を通してアスカが聞いたことだった。
学園長は枕にあごを乗せつつ軽くうなると、
「あいわかった。君や婿殿がそこまで言うほどの青年ならば、問題はなかろうて」
ワシに任せておいてくれい。
学園長はそう口にすると、腰をさすったのだった。
……
「さて、と。僕はこれからエヴァさんのトコ行こうかな」
気がつけばもう約束の時間になっていた。
半強制的に取り付けられた約束ではあったものの、アスカもやることを終えてヒマになった身だ。
拒否する理由なんかどこにもない。
「……一人で大丈夫?」
「だ、大丈夫でしょ………………………………多分」
「なんか不安な答えが返ってきたね」
一緒に行こうか、などと行ってくれる二人にやんわりと断りを入れると、エヴァの小屋へと歩を向ける。
…………小屋の前まで着いた。
ここまでは何事もなく、まったく問題なくたどり着いた。
先ほど感じた不安がとにかく気になるが、とりあえず。
「エヴァさん、来たよー」
ノックしてしまった。
程なくして、メイド服に身を包んだ茶々丸が出てくる。
「お待ちしておりました、アスカさん」
「あ、どうもお構いなく」
入ってすぐの居間の椅子に、エヴァは行儀よく腰掛けていた。
服装は先刻のまま。おそらくはパジャマなのだろう。
手元にあるマグカップに注がれた珈琲は、白い湯気を上げていた。
「まぁ、座れ。神楽坂飛鳥」
言われるがままに向かいの椅子に腰掛ける。
茶々丸が気を利かせて椅子を引いてくれたことに思わず驚きつつ、
「……どうぞ」
「あ、これはどうも……」
茶々丸の淹れた珈琲を口に含んだ。
……うわ、おいしい……
そんなことを思っていたのもつかの間。
「私と戦え」
なんの前フリもなく、エヴァはそんなことを口にした。
もちろん、それに驚かないほどアスカの肝は据わっていない。
見せるのは困惑。
「な……なんで?」
「決まっている」
それはある意味で自己満足に近かった。
自身のプライドだけにこだわった、長命な吸血鬼ならではというか何と言うか。
「あの時、私のプライドが傷つけられた……貴様にな」
時間は学園都市の大停電までさかのぼる。
ネギとアスナが仮契約を再度交わすまでのたった数分間。
結界の存在しない、全盛期のそれに近い彼女が張った魔法障壁をただの一撃で貫いた。
それが今まで、吸血鬼の真祖にして最強と謳われる魔法使いの一人として、許せなかったのだ。
だから。
「全力で私と戦え、神楽坂飛鳥」
「そんな……僕には戦う理由なんか――!」
やはりな。
そういわんばかりの表情で、エヴァは目を伏せる。
それでもなお不敵な笑みを浮かべ、流れはまさに自分にある、とばかりに鼻を鳴らした。
「なら、私が理由を作ってやろうか?」
彼女は知っていた。
事故とはいえアスカが亜子と仮契約を交わしていることを。京都での戦いにも参加していたことを。
そして、彼が亜子に対して守護の誓いを立てたことを。
……ざわり。
言わずとも理解できた。
言う前から、その顔が語っていた。
今までになく強い殺気をアスカは放つ。
それを感じ取ったエヴァは、彼が考えているその一言を告げる。
「貴様が戦わねば……和泉亜子――お前の主をこの世界から消してやろう」
彼女を守ると誓った。
それがどのようなであれ、彼女を害する者であれば誰であろうと許さない。
ただ従者であるからというわけではない。
亜子が、自分にとって初めてとも言える同年代の友達だから。
真紅の瞳が鋭く光り、エヴァを射抜く。
「来い。私と貴様の決闘の場として、ふさわしい場所を用意している」
戦う戦わないの返答もないまま、エヴァは奥へと消えていく。
それに続くように茶々丸が姿を消すと、
「……言っていいことと悪いことがあるよ、エヴァンジェリン.A.K.マクダウェル」
アスカはそれに続いて居間から続く奥――地下へと続く階段の先へと消えていったのだった。