「ハァッ、ハァッ」
天ヶ崎千草は一人、森の中を疾走していた。
道としては使われていない、土が剥き出しの地面をただひた走る。
目的地は、京都の街々。
こうして走っていれば、いずれたどり着くことができるだろう。
方角は間違っていないはずなのだから。
「くっ、あんな化け物が出てくるとは……」
今は一時退却し、時を待とう。
それが今は最善。
仕切りなおせば、万全な態勢で望めば勝ち目はある。
だからこそ、千草は逃げていた。
見事な負け惜しみである。
「こらっ、勇気ある撤退と言わんかいっ!」
……ごめんなさい。
と、謝罪の言葉もそこそこに、京都の街が見えてきた。
街中に入ってしまえば襲われる確率も少なくなるから、そこまでは頑張って走る。
しかし、ゴールを目の前にして。
「オ前、悪人ダナ……?」
「!?」
周囲の木々がざわめいた。
聞こえた声はどこか片言で、日本語を覚えたばかりの外国人と話しているような感覚だった。
しかし、感じる怖気は自分を明確に射抜き、さらに彼女を包み込む。
背筋に寒気が走る。
まるで自身の身に降りかかるであろう災厄を警告しているかのように。
「自分ノ目的、欲望、理想ノタメニ、他人ノ犠牲を厭ワヌ者――ソレガ悪人ダ」
トーンの高い、子供のような声。
しかし、感じる気配は人間のそれではないと、身体全体が警鐘を鳴らしている。
ダメだ。早く逃げなければ。
頭ではそう思っても、足が動かない。
「ダガ、誇リアル悪ナラバ、イツノ日カ自ラモ同ジ悪ニ滅ボサレルコトヲ覚悟スルモノダ」
オ前ニ、ソノ覚悟ガアルカ?
強風が吹き荒れる。
周囲の枯れ葉を吹き飛ばし、緑に色付いた葉を擦らせザワザワと音を立てる。
「な、何者やっ!?」
答えは返ってこない。
代わりに、地面に突き刺さる数本のナイフ。
ナイフとは言っても、それこそ大の大人の手先から肘程度の長さを誇り、包丁のような形状のもので、一般人が生活の中で使うようなものではないだろう。
「覚悟ガネェンナラ、テメェハタダノバカカ」
宙に浮かぶ一つの影を千草の目が捉えていた。
小さな子供程度の身体に、その身長よりも巨大な片刃の大剣。
否、大剣というには小さすぎるだろう。
「三流デ腰抜ケノ子悪党ダ」
現れたのは人ではなく、人形だった。
カタカタカタと自らの身体を鳴らし、千草に迫る。
「ひぃぃっ!!」
もはや、千草に逃げる時間は存在しなかった。
「誇リナキ悪ハ、地ベタニ這イツクバッテ死ニヤガレ」
ザクンッ!!
人形は、手の剣を気絶した千草の顔の真横に突き立てた。
「マァ、最近ハウチノ御主人モ妙ニ丸クナッチマッテ」
突き立てた剣の柄に腰掛け、人形は呟いた。
不服そうではあるものの、それでいて抑揚のない声は、ただ明るくなっていく空に消えていったのだった。
「ツマンネーンダガナ」
地面に刺さった一振りの剣。
その刀身には『MINISTRUM MAGI CYACYAZERO』と刻まれていた。
魔法先生ネギま! −白きつるぎもつ舞姫−
白き舞姫
事件が一通り終わった後。
一行は関西呪術協会の総本山へと帰還していた。
もっとも、途中から乱入を果たしたアスカや亜子、楓に真名、そして古菲の5人ははじめて訪れることになったわけだけど。
そのまま飲み会(お酒なし)に突入し、結局寝たのが明け方になってからだった。
「それにしても……」
協会総本山の地全体に咲き誇る桜の花びらの舞う中、近衛詠春は一人、背後の人影を見て苦笑していた。
一見少女にしか見えない顔立ちに、麻帆良学園の制服。
一介の女子中学生に見えるが、
「綺麗になったな、アスカくん」
「それは嬉しくないよ、詠春」
実は健全な男子であるアスカに、そんな言葉をかけていた。
もちろん、彼にとっては嬉しくも何ともない。
腰まである長い髪を戦闘時によく結ぶ布でしばり、男とは思えないような顔で口を尖らせる。
「ははは、すまないね。地が出てしまったよ」
「本心だったかこのやろう」
かんらかんらと笑う詠春を見て、アスカは軽く殺意を抱いた。
ふつふつと湧き出る怒りを拳に握り、天誅を加えたいのをなんとか抑える。
「小さかったころもそうだったが、とても男とは思えない」
「それはもーいいから」
アスカは小さかった頃に詠春や他の大人たちに助けられたことがあった。
不慮の事故で漂流していたところを助けられたのだが、本人はそのことを一切覚えていない。
助けられる以前の記憶も、失ったまま。
だからこそ、今までうまくやってこれたのかもしれないが。
「記憶は未だに…・・・戻っていないんだね」
その言葉に、アスカはうなずいた。
事故以前の記憶、家族の記憶。そして、自分自身の記憶。
名前すら定かでなかった彼に共通の友人である青年が名前をつけてくれたのだ。
すでに一人連れていた少女の家族になれますように、と。
「でも、もういいんだ。僕は今、『僕』としてちゃんと生きてるから」
それは、過去との決別に近かった。
本来存在するべき場所を拒み、今を生きる。
それが、この数年で得た答えだった。
「……ナギから、何か連絡は?」
そんな問いに、詠春は首を横に振る。
かつての大戦以来、無二の親友とも言えた彼の消息は、未だ掴めていない。
公式記録が死亡となっている時点で、情報はまったくない状態なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
それから10年。彼の足取りを見た人間はおらず、これ以上のことはわからないと。
詠春はそう口にした。
その答えに、アスカは慣れたように息をつく。
『わからない』。
その言葉を何度聞いたか、すでにわからないほどに耳にしているから。
「仕事のたびに依頼人に尋ねたよ」
でも、返ってくるのはたった一言。
しかも否定の言葉だけだった。
ネギは「生きている」と言ってやまない。
でも、記録では死亡となっている。
だからアスカは彼を追いかけていた。
足取り以前に情報すら掴めなくて、ウェールズで暇していたところでネカネに声をかけられ麻帆良へ一直線だったわけだけど。
「まぁ、いいか」
あきらめも肝心とばかりに、その話題はあっさり切り捨てるアスカ。
慣れたものだ。聞いてきたことも、それに対する答えも。
「で、あの人……リバーさん、だっけ」
「あぁ、彼……ね」
突然現れて、ネギたちの手助けをしてくれた彼。
彼も一緒に総本山に連れて行ったのだが、食事を食べるだけ食べてさっさと寝てしまった。
その場で一番年長で、さらに協会の長を務めている詠春に「話がある」とだけ告げて。
アスカが寝るまで詠春は一緒にいたから、もしかしたらみんなが寝静まった後に話をしたのかもしれないと。
半ば推測ではあるものの、間違いではないと確信していた。
「確かに、彼は巨大な力を有している。もしかしたら、あの全盛時の闇の福音を凌ぐかもしれない」
真祖となって600年。彼女は最強の魔法使いとして君臨してきたわけだが、15年前に登校地獄の呪いで学園から出られなくなっている。
今回はその呪いの精霊を学園長が必死になって騙しているらしいが、その全盛のエヴァを凌ぐというのだから、その力の巨大さが窺える。
本来なら驚異となりうる青年だが、詠春はなぜか含み笑いをこぼしていた。
「……どしたの?」
「いやいや、彼は確かに巨大な力を持っているけど、僕たちに危害は加えないよ」
「へぇー……」
聞けば。
「俺の身体は、あの黒髪の嬢ちゃんの魔力でできてんだよ。だから魔力が枯渇すればあっという間に消えちまうし、立場的にはあの娘の使い魔ってことになるからな」
と、いうことらしい。
千草がスクナの召喚に木乃香の魔力を使ったからこそ、今の彼がいるわけで。
「つまり、このかのいいなり?」
「いや、そこまではさすがにないと思うけど……」
でかい態度の男性が、一人の少女にへこへこつき従う姿を想像して、思わず吹き出す。
笑っては失礼だぞ、と注意する詠春の表情も少々緩んでいる。
とにかく、彼はアスカを含めた魔法使いたちに、危害を加えない。
それは明らかだった。
「とりあえず、彼はこちらで預かっておくよ。学園に戻ったら、お義父さんに……関東魔法協会の理事にそのことを伝えて、判断を仰ぐとしよう」
「うん、それじゃそれは僕がやっておくよ」
「よしなに頼むよ、『白き舞姫』さん」
「頼まれました、長さん」
互いに笑う。
久しぶりの再会というのもあるし、詠春にとっては弟……いや、息子といってもいいくらいの関係だったから。
だからこそ、今は純粋に再会を喜んでいるのだ。
今までは遠くウェールズと京都。
これからは少し足を伸ばせば会いに来れるから。
「そう言えば、その『白き舞姫』って何?」
「なんだ、知らなかったのかい?」
白い装束に白い大剣を提げ、舞うように戦場を駆ける一人の従者。
与えられた任務の達成率はきわめて高く、昨今の魔法界を賑わせている。
そんな話。
ここまでならまだ嬉しいと思えるだろう。
なにせ、良かれと思ってやっていることを手放しで誉められているのだから。
しかし、問題はここからだった。
「長い髪に、その顔立ちだからね。女性だと思われるのも無理ないさ」
「それで『舞姫』なのね……」
がっくり。
アスカは頭を抱えたのだった。
……
「アスカーっ!!」
声を上げて呼びに来たのは亜子だった。
慌てているようで、どうも忙しない。
「探したよぉ」と言わんばかりに息を荒げて、膝に手をついて荒れた息を直していたのだが。
「…………」
頭を抱えているアスカを見て、一瞬きょとんとしてみせた。
「おやおや。そんなに急いで、どうしましたか?」
「……あ、そやそや。アスカ、大変なんや!」
「僕は男僕は男ぼくはおとこボクハオトコ……」
再びきょとん。
反応を見せないアスカを見て、亜子は指差すと。
「あの、どないなってるんですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。精神的に少し打ちのめされているだけですから」
「は、はぁ……」
わけがわからない。
亜子は連れて行って問題ないのかを詠春に尋ね、即答で了承を得ると、アスカへ呼びかける。
なんでも、旅館に飛ばした総本山にいる3−Aのメンバーの身代わりの紙型が、大暴れしているらしい。
アスカはそれを聞いた途端、カッ! と目を見開き、
「うおぉぉ、僕の尊厳を守れェェ―――ッ!!」
ワケのわからないことを口走って一目散に駆け出していた。
亜子をその場に置いてけぼりにして。
慌ててアスカを追いかけようと立ち上がったところで。
「和泉さん……でしたね?」
「はい?」
詠春は声をかけていた。
目の前で自分に顔を向けてくれているおとなしそうなお嬢さんが、今の彼のパートナー。
それを聞いていたからこそ、一言言っておきたかった。
友人として、家族として。
「彼のこと……よろしくお願いします」
亜子はその一言に、今しばらく呆けていた。
確か、彼は木乃香の父親のはずだから。
木乃香をよろしく、だったらわかるのだが、まさか木乃香でなくアスカをよろしく、と言われてしまうとは。
でも、自分に見せてくれている微笑は、まさしく父親としての気持ちが伝わってくるようで。
「……もちろんです。ウチ、アスカの友達ですから!!」
笑顔で、そう答えていた。
アスカを追いかけんと、慌てて詠春に背を向ける。
数歩進んだところで思い出したかのように立ち止まると、
「失礼しますっ!!」
彼に向かって一礼。
踵を返すように少女たちの輪の中に溶け込んだ。
「どうしたんだ?」
声をかけてきたのは、いつの間に縁側へやってきたのか一人の青年の姿があった。
夜更けに、自分は木乃香の魔力で身体が構成されている、と正直に告げた青年――リバーだった。
口こそ悪いものの礼儀もわきまえているし、偉ぶった態度を取って天狗になっているわけでもない。
黙っていれば、かなりの好青年とも思うことができるだろう。
「いえ、なんでも。それより、朝食にしましょうか」
「お。いいねぇ。久々なんだよな、人間らしい食事。昨日の飯も美味かったぜ〜……」
口の端からダラリとつばを零れさせ、悦に浸っているリバー。
どこかもわからない世界から喚ばれたにしては、今まで人間らしい食事をしていないという彼は、一体どこからやってきたのだろう?
そう疑問に思わせるような言葉を連呼しながら、眠たそうに頭を掻く。
「おやおや、そう言って頂けると作った甲斐があるというものですね」
「は!? アンタが作ったのか!?」
「いえいえ、そんなまさか」
「……アンタ、俺をからかって遊んでんだろ」
「まさかそんな、恐れ多いことを……」
「いーや、ぜってえアンタは俺で遊んでる!!」
「そんなことありませんって……」
リバーを連れ、奥へと足を進める。
さて、そろそろ朝食の用意ができているでしょうか?