リンディの指示で、クロノとなのはは守護騎士たちと対峙することなくアースラへと戻ってきた。 逃げてきた、といえば聞こえは悪いが、あの状況で戦いを仕掛けたところで返り討ちが関の山だったからこその戦略的撤退である。 手負いとはいえど、あくまで騎士。なのはとクロノだけでは手に余ると、リンディはそんな判断を下したわけだ。 そして、今現在問題となっているのはもちろん、行方知れずのである。 アースラを司令部に据えて、今までよりも広い範囲を捜査。事件の終わりを目の前に控えた矢先、事態が急変。 いい方向にまっすぐ進んでいたストーリーがゆっくりと、弧を描いて曲がり始めた。 そして今は、メンバーを1人欠いた状態での緊急会議。守護たちと騎士たちと対等以上に渡り合えるアタッカーがいなくなってしまった今、少なくともフェイトのリンカーコアが回復するまでの間の、捜査の方針を決める必要があった。 「…………」 そして今、この場所は闇の書捜査部隊の一同が顔を合わせたアースラの会議室。 会議自体は進むどころか、むしろ膠着状態に陥っていた。 結局のところ、出された答えはたったのひとつだけ。 ……捜査を進める。たったそれだけ。 を連れて行ったのは仮面の男。守護騎士たちと少なからずかかわりがあるはずだと踏んだ。捜査を進めればこそ行き着く先には、あの男もいるはず。となれば答えはおのずとひとつだけ。 捜査を進めていくことだけが彼のいる先へ向かうには一番の近道だという結論に至るまでには、さほど時間はかからなかった。 話はそれから進むことなく、会議は解散。壁に寄りかかったままうつむいていたフェイトは皆が出て行ったことに気付かず、ふと顔を上げてみれば広い部屋には自分とアルフの2人だけだった。そのアルフもどこか心配そうな表情で、自身を見つめていることに気がついたフェイトは。 「あ、あれ……みんなは?」 自身の懐いている考えを察されることのないように、きょときょととわざとらしく周囲を見回すしぐさをしてみせる。触れて欲しくない、という空気を察してくれたのか、アルフは苦笑。 「みんなもう出てっちゃったよ。ほら、フェイトも早く。アタシらのご飯、なくなっちまうよ?」 「う、うんっ」 自身より小さなフェイトの肩を押して、2人は会議室を後にしたのだった。 自分がいれば、あんなことにはならなかったかもしれない。自分が力になれてさえいれば、今のようなことにはならなかったかもしれない。 肝心なところで動くことのできなかった自分自身に、フェイトは少しばかり腹を立てていた。 考え事とか気になることがあるとか、そんなたいそうなものではない。ただ、今のような状況になって何もできない自分に、わずかばかりの無力感を感じていただけ。 「……」 仲間を心配する思いに偽りはない。 それと同時にフェイト自身の内側にある、ひとつの気持ち。 いつかの自分を『スタートライン』へ押し上げてくれた1人の少年に、なにかをしてあげたかった。 しかし、それに報いることができないまま、彼はいなくなってしまった。タイミングの悪さとか、その場その場の状況が彼女の行動させる暇すら与えてくれなかった。 彼女はただ、それがどうにも歯痒かった。 魔法少女リリカルなのはRe:A's #38 さて。 場所は変わって、とある施設のとある一部屋。家具はおろか物らしい物ひとつないこの部屋にたった一つ置かれた鉄パイプで組まれたベッドに、は1人寝かされていた。目を覚ます気配はなく、布団に包まれた胸がかすかに浮き沈む。 大きな窓から見える景色に青い空も星の輝きも存在せず、ただあるのは、メンテナンスの施された時空航行艦の数々だけ。 そこがどこであるかなど、その場所を知る者であれば誰でも、見ただけで一発で理解できるだろう。 ……そう。 ここは時空管理局本局。 その一室に彼は、寝かしつけられていた。 「……おじゃましま〜す」 そんなとき、音もなく開かれた鉄製の自動扉。その先の人影は抜き足差し足、少年1人眠る個室へと忍び込んでいた。 ぴんとたった獣耳に、ひょろひょろと動き回る細い尻尾。そのいでたちはただ見ただけで人間とは別のものだと理解できるだろう。提督ギル・グレアムに付き従う双子の使い魔の片割れ。猫のような――いや、素体は猫なのだけど、どこか無邪気に、まるで最初から目的を持って行動しているかのようにくひひと笑ってみせるその人影はの寝るベッドの脇で立ち止まると、彼の寝顔をじっくりと覗き込む。起きる気配がないことを確認すると、懐から細長いそれを取り出して今度はどこか裏のあるような顔でにまぁ、と笑って見せた。 そのまま、に覆いかぶさるように立ち上がり、頭上にかざした細長いそれをの眼前に立てて、しきりに動かす。それはまるで、真っ白な紙にペンを走らせるかのように。 ……もとい、の顔を走っているのは他でもない、そのペンなのだ。 『末期ぃ』と欠かれた真っ黒なそれは、超油性。最低でも一週間はいくら洗ってもこすっても消えないという、用途すら不明な伝説のいわくつきのサインペン。 そのペン先はの頬に獣ヒゲを、口周りに泥棒ヒゲを、そして、額にはまさに定番の一文字を。 「くひひひ♪」 ペン先を離したときには、の顔はコミカルな、見ているだけで笑いがこみ上げるような顔へと進化を遂げていた。その顔を見て犯人な人影も舞い降りてくる笑いの神様を抑えきれず、必死に口元を押さえる。……しかし、言うまでもなくこらえられるわけもなく、ぷぷぷぷと手の隙間から空気が漏れている。 そんな人影を窮地に追い込むかのように背後の自動扉が開く。 「……げげ」 「ロッテ、こんなところで何してるの?」 その先に立っていたのはこめかみを引きつらせたリーゼアリアと。 「少しイタズラが過ぎるぞ、ロッテ」 「ご、ごめんなさぁ〜い……」 彼女と、人影――リーゼロッテの主であるグレアムの姿があった。 「まだ、彼は目を覚まさないか?」 「はい…………すこし、やりすぎてしまったかもしれません」 準備は万端。あとは時が来るのを待つだけ。その間、どうしても彼の存在が邪魔だった。 だからこそこうして強制的に退場してもらったわけだが、しかしいつまで経っても目を覚まさない少年を見ていると、どこか罪悪感すら沸いてくる。さらにそやってしまったのが、ロッテが今しがたやってしまったらくがきならぬらくがお。しかも、消そうに消せない伝説のいわくつきペンで。 こみ上げる笑いをこらえながらもロッテを諌めるアリアだったが、彼をこの事件から遠ざけるにはまさにちょうどよい。 少年からすれば迷惑この上ない話なのだがこれで、すべての準備が整った。 氷結の杖も完成した。闇の書のページも、残りわずか。 十年来の因縁を、無念を……今こそ晴らすときだ。 ● 闇の書、残りは60ページ。色々とアクシデントはあったが、その後はともかく順調そのものだった。 遠い世界の、巨大生物や少しばかり魔力の強い生物のリンカーコアばかりを集めて回り、はやての入院をいい機会だと長期に渡って蒐集を続けてきた。その甲斐あってか、さして邪魔もなく666あった闇の書のページもようやく残り50ページほどまでこぎつけた。 今日は12月23日。クリスマスを目の前に控えて、なのはとフェイトはいつもの仲良しメンバーで1つの計画を立てていた。明日、24日はクリスマスである前に、彼女たちの通う小学校の終業式。一言で言えば、冬休みの始まりである。結局クリスマスまで病院暮らしで、家族のみんなとのはじめてのクリスマス。結局騒ぐこともできないままだったことを思ってか、はやての病室へアポなしで行ってしまおう。いわゆる、サプライズというヤツを決行してしまおうと思い立ったわけだ。 この計画が、一連の物語の核心を目の当たりにするとは露にも知らずに。 そして今、計画の決行を明日に控えて、フェイトはなのはの家にお邪魔しつつ晩御飯をご馳走になっていた。 リンディもクロノもエイミィも、今はアースラにいることを知っているなのはが、フェイトを誘ったのだ。 ほかほかスープに焼きたてのパン。一緒に連れてきたアルフには、焼きたての骨付き肉を。みんなが満面の笑みを浮かべて、温かい夕飯にありついていた。 「フェイトちゃんは、今年のクリスマスイブはご家族と過ごすのかい?」 「あ、はい……えと、一応は」 「そう……」 士郎の問いに、『ご家族』という部分に少しばかり肩を竦めて、フェイトは小さくうなずいて見せた。 フェイトにとっては初めてのクリスマス。自分を認めてくれる優しい人たちと一緒に過ごしたいと思うのは、当然のことだった。アースラスタッフのみんなともだがもちろん、なのはとも。 この10日間の間、の足取りは少しもつかないまま。リンカーコアだけが快復して、あのときにはなかったものを持っている。だからきっと、みんなを助けて上げられる。そう信じて、今はとにかく普段どおりに過ごすしかなかった。 「ウチは今年も、イブは地獄の忙しさだな」 「私、今夜のうちに値札とポップ作っておくから」 「おねがいね、なのは。私たちは、明日に備えてしっかり寝とかなきゃ」 士郎の言うとおり、明日クリスマスイブは高町家――翠屋スタッフにとっては地獄の1日になるだろう。 翠屋はいうまでもなく、若者に人気な軽食喫茶。普段でさえそれなりに忙しい日常で、それがクリスマスともなれば人の入りは普段以上のものになる。パティシエである桃子特製のクリスマスケーキはこの時期の人気商品。さらに、イブを過ごす恋人や友達のためにと深夜まで営業。消費者の立場に立って営業するという精神は、まさに商売人の鑑。 明日の忙しさを乗り越えるためにも、美由紀の言うとおり体力を温存しておく必要があるわけだ。 「アリサちゃんとすずかちゃん家の予約分は、ちゃんとキープしておくからね」 「リンディさんからも予約いただいてるからね。お楽しみに」 「はい……ありがとう、ございます」 そう言ってウインクしてみせる士郎に、フェイトは頬を赤く染めた。 初めてのクリスマス。彼女なりに、楽しみにしていたわけだ。 「ところで、フェイトちゃん」 「……なんですか?」 そんなとき、恭也が軽い笑みを浮かべてフェイトに話しかけていた。 本来ならこの場で話すべき内容ではないのだろうが、と軽く躊躇しながらも、恭也は口を開く。 「なのはもだが…………大丈夫かい?」 「ふへ?」 「え、あ……」 突然振られて驚くなのはも、大丈夫かと尋ねられて戸惑うフェイトも、口に出そうとした言葉を呑みこんで、 「だ、大丈夫ですよ?」 「そうだよおにーちゃん。突然どうしたの?」 「いや……まぁ、大したことじゃないんだ。大丈夫なら、それでいい」 先日感じた嫌な空気。そして、剣士としての自分の本能があの場所は危険だと告げた。その日から、なのはが考え事をしている光景を何度も見た。そしてそれは、今日久方ぶりに会ったフェイトも同じ。 普通に接しているように見えて、しかしその真意は別のところに向いている。 自分のことに無頓着な恭也だがしかし、人のことになると敏感なのがいわゆる彼の味、というヤツである。 「変なこと聞いて、ごめんな」 「い、いえ……」 「にゃはは。なんかおにーちゃんらしいよね」 「恭ちゃんは人のことになるといっつもこうだからねー」 いらんことを付け加える美由紀に、恭也が無言で制裁を加えたのは、また別の話。 ● そして再び時間は戻り、舞台が戻る。 仮面の男に連れ去られてから2日。はようやく、沈んでいた意識を浮上させていた。目を開けて、そこが本局だと気付くのに時間はかからなくて。 そしてなにより、すこぶるお腹が減っていた。 「うん、んむっ……ぷほーっ!」 「むぷくく……」 顔に描かれた落書きもそのままに届けられた食事をかっ食らう。食事を持ってきた局員が笑いを必死にこらえていたことに首をかしげながら、とにかく食べることに必死になっていた。 それをやはり笑いをこらえながら見ていたのがリーゼアリア。リーゼロッテの会心の出来であるらくがおの存在を教えてしまうのはもったいないと考えてしまったのか、やはり双子の姉妹であった。両の頬に獣ヒゲ、口の周りに泥棒ヒゲ。そして額に『肉』の文字。 最低でも七日七晩は消えないと定評の有る『末期ぃ』の効力が、最低でもあと5日は残っていることを考えると、教えたところで無駄なのは目に見えていた。 「なぁ、アリア。なぜにそんなに笑いをこらえてるんだよ?」 「ぷふぇっ!? い、いやいやいや……べ、別に〜?」 あからさまに怪しい態度。しかしそれを気にも留めずに、はとにかく2日分の食事に食らいついたのだった。 「くん。起きたかね?」 「ぶほぉっ!!」 扉が開き、入ってきたのはグレアムとリーゼロッテ。の顔を見た途端に噴出したのは、もちろん彼女である。グレアムはその手に湯気の立ち上る洗面器を持って、 「まずは、その顔を洗いなさい。この湯は、少し特別な液体を入れてある。すっきりすると思うぞ?」 「あ、あぁ……こりゃどーもわざわざすんません」 ちなみに、グレアムの持ってきた湯に入っているのは、ありとあらゆる汚れをナノ粒子に分解、皮膚から剥ぎ取るという、ちょっとした値打ちものの薬であった。その湯で顔を洗ってみればあら不思議。1回の洗顔行為だけで、あらかたの『末期ぃ』のインクが見事に落ちていた。 リーゼロッテとリーゼアリアからすればもったいないことこの上なかったのだが、話をするには少し空気が読めなさ過ぎる。グレアムなりに気を利かせたつもりだったのだが、実際はただ、リーゼロッテがイタズラで七日七晩消えないサインペンでらくがおしたという事実をもみ消しただけだったりする。 「ふぁーっ、すっきりしたぁっ!!」 実際、イタズラの痕跡は見事に消え去り、グレアムの目論見どおりとなっていた。 |
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