「・・・っ!」 ひゅっ、と白い刃が空気を切り裂いた。 右手に握る柄の確かな感触と、振り抜いた刃の切っ先を臨む。かつて鮮血に濡れた白い刃は、うって変わって美しい刀身を称えている。反射する太陽の光に曇りはなく、彼の顔を照らし続けていた。 療養を始めてから、1週間が経過した。 度重なる戦いの反動。休む暇なく事件に首を突っ込み、死線を潜り抜けてきて身体がここに来て悲鳴を上げた。古傷を含めた全身の傷から血を噴出し、アメルとトリスが頑張っていなければ、今頃この世にいなかったのでは、というほどの重症だった。 それがたった1週間でほぼ完治に至ったのは、ユエルやハサハの介護はもちろんのこと、鍛えられた彼の身体そのものの回復能力の賜物だった。ファミィの憑依召喚術も、彼の回復に多大な助けとなったのだろう。 「う〜ん、まずまずかな」 休んでいたのはたった1週間。しかし、されど1週間である。 療養の間、彼は運動を軽い組み手程度に留めて、身体の回復を最優先に勤めた。結果、筋肉は凝り固まり、怪我の前と同じ身体を取り戻すことに時間を要することになる。 だからこそ、4日目からの3日間、身体に負担をかけない程度身体を動かしていた。できる限り早く、以前と同じ身体を取り戻せるように。 ぐぐい、と身体を大きく伸ばし、感じる違和感に眉を寄せる。 鈍っていた。 これも代償、自業自得。仕方がないことと思いつつも、やはり物悲しいものがあって。 「はぁ・・・」 小さくため息をつきつつ、空を仰いだ。 雲ひとつない晴天。 穏やかなファナンの潮騒。 聞いているだけで自然と心が穏やかになっていくような気分になる。 実に気持ちがいい。 「・・・」 ぎゅ、ぱっ、ぎゅ、ぱっ。 刀を持たない左手を握っては開くを繰り返す。 手のひらを握る感触と、開いたときに入り込む空気の流れ。感じたそれらは直にはっきりと伝わって、自分自身の体調が実に好調であることが実感できた。 身体の鈍りはさておいて。 「・・・よし」 満足げに軽く笑みを浮かべて、小さく拳を握る。 「おにいちゃん」 「お・・・あぁ、おはよう。ハサハ」 絶風を鞘に収めて、主のいない家の縁側に顔を出した少女に、彼は小さく笑顔を向けた。 おだやかに照る太陽の光の下、大きな背中と、いつもの笑顔。いつどうなってもおかしくないほどの重傷であった彼が、こうして元気な顔を見せてくれるだけで、少女――ハサハは嬉しかった。 半ば事故まがいの召喚からこっち、常に戦いの中に身を置く主のことをずっと、彼女は心配していた。 イレギュラーな形での召喚に応じてしまい右も左もわからないハサハに、当時の彼はただ頭を下げた。ハサハは感受性が強い。だからこそ彼の謝罪に含みがなく、純粋に謝罪の言葉を口にしているのだと理解できた。 だから、彼女は。 ――― 多分、これから危険な旅になるぞ? 彼に同行するという選択肢を選んだ。 彼が、自身のことを二の次にして、ハサハのことを考えていたから。 ――― 急にこんな物騒なトコに喚ばれて、驚いただろ。元の世界、還りたいよな。 優しい彼が、この世界で、つらい思いをしないように。 サモンナイト 〜美しき未来へ〜 第53話 改めて旅立ち 「さて、と」 2度目になるが、身体に痛みなどの違和感はない。しかし、動かしたい意思に、身体はかつてほどに反応することはなかった。筋肉は凝り固まり、脳からの信号に迅速な反応をすることが出来ていない。 戦うことのない一般の人々であれば、それでもいいだろう。しかし、彼の場合はそうもいかなかった。 自分の合流を待っている人たちがいる。 流されるままに、しかししっかりと前を見据えて突き進む仲間たちがいる。 そんな彼らの思いに応えるために、は傷ついた身体を癒すことを第一に、この1週間を過ごしてきた。 ぬるま湯の中にいるような、久方ぶりに感じた温かな時間は、もう終わり。 怪我は癒えて、刀を振るうかつての感覚も取り戻した。 なら、あとは。 「追いつくだけ、だな」 縁側で、隣に腰を下ろしていたハサハが、小さくうなずいた。 すがすがしい、朝の日差しは柔らかに、2人を照らす。 平和な日常はまた、しばらくお預け。 すべて終わらせたら、またここへ来よう。迷惑をかけた、かつての戦友たちに。 と、そんなことを考えていた、矢先のこと。 「・・・意気込んでるトコ申し訳ないんですけど、そうもいかないんですよね」 どこからともなく耳に入ったソプラノボイス。 その声は、以前にも聞いたことのある、知り合いの声で、しかし最近は行方をくらませていて連絡の1つも取れないはずの。 生前の母と瓜二つの顔を持つ、彼女が。 「貴方に今、動いてもらわれると困るんですよ。いろいろと、ね」 スブルーのメイド服に身を包み、右手にはその姿とは無縁のはずの、蒼銀を称えた短刀を携えて。 音もなく、彼の目の前に降り立ち、にっこりと笑って見せた。 「っ!!」 帰宅の瞬間に不穏な空気を感じ取ったのか、手にしている買い物袋をそのままに、ユエルが慌てた表情で蹴りあけるように勢いよく扉を開いて、視界に飛び込んできた人物に目を丸める。 浮かべた笑顔はそのままに、しかしかもし出す雰囲気に穏やかさはない。 携えた短剣が蒼光を放ち、彼女が臨戦態勢にあることを如実に示していた。 「なぜここに、って問いには、答えてくれない・・・みたいだな」 「はい」 「これは、君の意思か?」 「はい」 わずかなやり取りとともに、疑問が脳裏を巡っては消えていく。 戦いを知らないはずの彼女がなぜここに。 自分が動くことで、なぜ彼女を困らせる結果になるのか。 なぜ、武器を手に自分の前に立っているのか。 それらに彼女が、答えてくれることはないだろう。にっこり笑みを浮かべたその表情が、それを物語っていた。 「貴方がいると、せっかく紡いだ筋書きを大きく逸脱してしまう」 短剣を包む蒼光が、空へと立ち上る。 「これ以上、彼らに関わってもらっては、困るんですよ」 笑顔のまま、開いた瞳に宿る『赤』。 「・・・君はっ!」 「だから」 短刀を逆手に構えて。 「ここで、退場して頂きます」 彼女――シエルは、その姿をかき消した。 「おにいちゃんっ!」 「ちっ・・・!」 明確な殺気を感じたハサハが声をあげる。 一足飛びで間合いを詰め、シエルはの懐へもぐりこむ。リーチの狭い短剣だからこその戦い方。小回りの利いた速度と手数の多さこそ、短剣の真骨頂。 が気づいたときには、その刃が彼の首元へと迫っていた。 鈍っている身体に文句を言っても仕方がないが、表情に険を宿したは喰らうまいと身体を大きくそらし、勢いあまって背後へしりもちをついた。目の前を短剣の刃が通り過ぎ、シエルの身体もまた通り過ぎ、かかっていた影が消える。 照らされた陽光を疎ましく思いながら、背中から倒れ掛かる身体をひねり、逃げるようにその場を離れたであったが、しかしシエルの攻撃はとまらない。 「っ!」 が地を蹴ったと同時にシエルは進行方向を180度反転し、再びを肉薄する。 「おそいです・・・っ!」 刃が衝突。 目の前で大きな火花が散り、一瞬、顔を照らす。 押され、背中から倒れることに抗うかのように背を反らし、下半身に力をこめて踏みとどまる。 目の前の刃が、その命を刈り取らんと煌く。 「っ!」 刈り取られまいと、押し出す力を強めると、不意に、迫っていた短剣から力が抜けて。 「おぉっ!?」 刃に抗おうとしたからこそ、前に進むことだけに力を注いでいたは、込めていた力の行き場を失い、バランスを崩す。 単純な腕力勝負では勝ち目がないと認識していたのだろうか。押して駄目なら引いてみろ、と言わんばかりに、彼女はの腕力すらも利用して見せたのだ。 無防備な背中を眼下に捉え、 「これで、終わりです!」 笑みを浮かべて、短剣を逆手に、頭上に掲げる。 しかし。 「やめろぉっ!!」 その腕が振り下ろされることはなく、は地面に手をつき背後へと跳ぶ。 距離をあけてから最初に捉えたのは、両腕に鉄爪を装備したユエルだった。 鳴り響く甲高い音は、ユエルがシエルと猛烈な攻防を展開している音。彼女の鉄爪は、シエルの短剣よりもさらに短い。さらに両腕に1つずつ。そこから繰り出される攻撃速度は、シエルのそれを上回る。 故に。 「なんでをおそうんだ!」 「くぅっ!」 彼女は、その圧倒的な手数に押されていた。ユエルの手数に任せた猛攻に、今までとは一転、防戦一方となっていた。そんな状況に歯噛みするのは他でもない、シエルだ。 ユエルの猛攻はとまらない。 余計な邪魔が入り思うように進まない現状に、貼り付けられた笑みは消えていく。 「なんでシエルがこんなことするんだ!」 鉄爪を振るいながら、必死になって呼びかける。 双腕から繰り出される一撃一撃を丁寧に、涼しい顔で裁いていく。 「・・・なんだ?」 シエルがまとう雰囲気が、冷え切っているように、には見えた。 まるで、周囲の色が消えていくかのように。 一合一合、打ち合うたびに、彼女の周囲が色を失くしていく。 背筋が、凍る。 「ユエルちゃん!」 叫んだのは、ハサハだった。 周囲の異質さを感じ取ったのか、ただ直感したのか。 どちらにせよ、今のままでは。 「ユエル! そこ離れろぉ!!」 何かよくないことがおきる。 ユエルが周囲の違和感に気づかないとは考えていないが、先ほどからの猛攻が続いている。純粋な娘だからこそ、気づいていない可能性もある。 しかし、にはそんなことは関係ない。ただ、彼女の安否を心配したがゆえに。 「え」 周囲の色が、元に戻っていく。・・・否。消えていた色が、短剣を持たない左手に集まっている。 の声に気づいたユエルが、小さく声を上げると同時に。 「うざったい、ですよ」 ひたり。 なくなった『色』が集まった左手が、ユエルの腹部に当てられた、次の瞬間。 「ユエルちゃ・・・っ!?」 強い閃光が、目の前からファナンのへと煌いた。 モーリン宅の柵をまるで紙のように貫き、砂浜をなぎ払い、を割り消えていった。 それはまさに、一瞬の出来事だった。 激しい運動を得意としないハサハはただ、見ていることしかできず。 「ユエル、ちゃん・・・?」 光が消えたその先に、ユエルの姿はなく。 不気味に微笑を見せるシルエット以外に、何もなくて。 「お、おにいちゃん・・・ゆ、えるちゃん、が・・・」 どうしていいかすらわからず、ハサハは、となりにいるを見上げるはずだった。 「え?」 いない。 つい、さっきまで、すぐそこまでそこに、いたのに。 残っていたのは小さく、でも少し深く抉られた靴の跡だけ。 あの光に、巻き込まれたのか? 彼はどこへ、行ってしまったのか? あの強烈な光のあと、気が動転しているハサハは今、ただ、いなくなってしまったことしか理解できていなかった。 だからこそ余計に、彼女が頼りにしていたがいなくなってしまったことは、感じていた恐怖を助長させるには十分だった。 「やだ・・・」 真紅の瞳が、ハサハを射抜く。 恐怖が彼女の身体を支配し、カタカタカタと震えがとまらない。 「お、にいちゃ・・・」 その場にいない、名前を呼ぶ。 それを理解していながら、それでも彼女はその名を呼ぶ。 「おにいちゃん・・・」 彼女がこの世界において、最も信頼を寄せていた、彼の名を。 「・・・っ!!」 轟音が、聞こえた。 シエルが立っていた場所が土煙を上げ、地面に亀裂が走っている。 「お前・・・!」 それは怒りに満ちた、青年の声。 横脇に動かないユエルを抱えて、右の腕に携えた刀は薄く靄がかかっている。 先ほどの光を少し、受けてしまったのだろう。服は煤けて、裾はボロボロ。病み上がりのためか息も上がって、体力ももはや限界に近いのだろう。汗がにじんでいた。 「・・・どうやら、タイムアップみたいですね」 携えた短剣はそのままに、目論見が外れたとばかりにシエルは小さくため息をついた。 人を飲み込むほどの、を割るほどの巨大な砲撃だ。街の人間や金の派閥の召喚師たちが、気づかないはずもない。 「本当は、ここで貴方を潰しておきたかったのですが・・・まあ仕方ありません。めんどうな連中が来ないうちに、さっさととんずらしちゃいます」 「逃がすと思ってるのか・・・?」 脇に抱えたユエルは、気を失っていた。 を割るほどの威力を誇る砲撃を、間近で放たれたのだ。 正直、気を失った程度で済んだのは奇跡といえるだろう。 砲撃が放たれる直前、は 間に合ってよかった、とばかりに内心安堵しっぱなし。そして、同時に感じたのは、純粋な怒りであった。 大事な家族を傷つけられたことと、病み上がりとはいえ、自分の身体の不調が原因の一端を担っているふがいなさに。 「大事な家族を傷つけられて、はいそうですかって見逃すほど、俺は、人間できてない・・・っ」 押し込めていた怒りが、押し留められず、声色ににじんでしまう。 「なら、どうしますか?」 口を開いたのはシエルだった。 冷ややかに、見下すかのように。『なにをしても無駄だ』といわんばかりに。 「殺しますか、私のことを」 「・・・っ!?」 あっさりと飛び出した『殺しますか』という言葉。 その言葉に、沸き立っていた彼の気持ちは一気に冷え切っていた。 ユエルを傷つけられたことには、今でも怒りを覚えていられている。しかし“彼女”の言葉は、彼に最大限の効果を発揮していた。 「何を驚いたような顔してるんですか」 見た目が、声が。 「『家族』を傷つけられて、怒っているのでしょう?」 かつて失くしたものに酷似していたから。 「私が憎いのでしょう?」 別人だと言い聞かせても、身体は心に引っ張られる。 今の状況が、の心の奥底を、大きく揺さぶっていた。 「それなのに・・・なぜそのような顔をするんですか」 が持つ信念であり、原点。 それらはすべて『彼女』を通じて収束しているのだと、心の奥底に眠っていた無意識が声を上げる。 彼女は『知って』いる。 今までほとんど接点のなかった彼女が、仲間の誰にすらも伝えていないことを、知っているのか。 なぜ、と言葉をつむげば、きっと止まることはないだろう。 『家族』を傷つけられた怒りと、仲間の皆が知らない心の奥底を見透かされた事実への驚きが鬩せめぎ合っている。しかし、の表情には怒りの色はなかった。 「貴方が、私をを通して誰を見ているのか・・・今・は知りませんけど・・・」 動きを見せないに、シエルは背を向けると。 「『次』は、貴方を潰します・・・・・・必ず」 私たちにとって、貴方はただ邪魔者でしかないんですからね。 言い捨てるようにそう口にして、次の瞬間には姿を消していた。 自身を脅かす脅威は去った。本調子でない身体で、しかしなんとか生き延びた。 汗ばむ手のひら。彼女の残した衝撃発言に震える身体。暑くもないのに流れる汗は止まらない。 「・・・はぁっ」 がくん。 緊張が解けたのか、吐息とともに足の力が抜けて膝をつく。 せっかく怪我から回復して、自由に動ける身体を取り戻したというのに、今度は頭の中がぐちゃぐちゃだった。 なぜ。 どうして。 疑問がただただ膨れ上がり、頭の中を掻き混ぜられているかのように、考えがまとまらない。 この世界に来てから・・・いや、『島』を出てからは口にしたことすらないはずだ。心の奥底に押し込めて、消えないように刻み込んで、それでもリィンバウムでの毎日が濃すぎて忘れかけていたほどのソレを、彼女はまるで知っているかのように口にした。 否。きっと知っているのだ。心の奥底に刻まれたソレを。 くい 「っ!?」 袖を引かれて、はうつむいていた顔を上げた。 ハサハだ。整った細い眉はハの字になり、ぴんと尖っているはずの耳が垂れてしまっている。そこで、気がつくことになった。 また、俺は。 「わるい。また、心配かけさせちゃったみたいだな」 彼女を安心させるように、ぽんと頭に手を置き、軽く撫でつける。 シエルは『次は』といっていた。つまるところ、いずれはまた見まみえることができるということに他ならない。 なぜ、はそのときに問いただせばいいだけなのだから。 「今まではただ流されてきた・・・でも」 立ち上がり、意識の戻らないユエルを抱き上げて。 「戦う理由ができた」 「・・・(こくり)」 動き始めるきっかけを、これでもかと打ち立てられてしまった。 「ユエルが起きたら、先に行ったみんなに追いつこう」 の一言に、ハサハが小さく、しかししっかりとうなずいて見せたのだった。 |
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