さわさわさわ……
風が頬を撫でる。
力強く、それでいて優しい風が、『起きて、起きて』と囁きかける。
その声に従って。
「…………むっ」
一人の青年が、柔らかい草の上にうつぶせていた身体を起こした。
腰を捻って仰向けに座る。
今いるこの場所は、召喚される寸前まで自分がいた森の中でも開けた場所だった。
生死を共にしてきた相棒は今、隣に寝かしておいてあって。
「ぬぉっ!?」
自分の周囲ですやすやと眠っている召喚獣たちを見て、思わず声を上げていた。
ゴレム、ライザー、ナガレ、ミョージン、テテ、プニム、ポワソ、タケシー。
リィンバウムを囲む四世界に属する召喚獣たちが、自分を中心に眠っている。
端から見れば異様な光景ではあるものの、彼にとってはそれが嫌というわけではなく。
「戻って……きたのか」
今まで体験していた非現実から戻ってきたことを、強く実感していた。
非現実はいっても、彼の経験からすればそれも日常なのかもしれないが、それはいくらなんでも無理がありすぎると一人思う。
左手にはまっていた篭手の姿は、今はない。
あれを使う必要も……もう、ない。
腰につけられた皮製のポケットへと手を突っ込む。
指先に触れる確かな感触は、アヴァターから持ってきたたった一つの小さな石。
それこそ、自分があの世界で戦ってきたんだという証の石。
幻影石という名前で、画像を保存できるらしいのだが……
「ははっ……使い方、わからないや」
保存されているはずの画像を映し出す方法が、まったくわからなかった。
どうせなら使い方を教わってくればよかった、なんて後悔したところで後の祭りだ。
そんなこんなで、途方に暮れていたところに。
“よう、気分はどうよ?”
一つの声が頭上から降ってきていた。
声の質は自分がよく知ったもの。なぜなら、これは自分の声なのだから。
それでいて、自分とは違った口調で話すこの声は。
「あ……」
いつからか存在を感じていた、裏の自分の存在だった。
輪郭からは淡い光が漏れ出していて、軽く透けて奥の木々が見て取れる。
なぜ、ここにいるのか?
口に出そうとして、本人に止められる。
右手を真っ直ぐ突き出して。
“聞かなくてもわかる。お前は俺なんだからな”
同じ存在なのだから、考えていることくらいお見通しなのだ。
……お互いに。
“まぁ、なんだ。お前はよく頑張ったよ”
この世界で。アヴァターで。
準備もなく喚ばれ、よかれと思ったことを実行した。
正解など最初から存在せず、行動次第で正解、間違い、どちらにでも転がってしまう。
うまくいったこともあった。反対に失敗を繰り返し、無力感を味わうこともあった。
失敗を恐れるな。気持ちを強く持て。
そんな言葉がぴったり当てはまるかのようにつまずいては立ち上がり、転んでは起き上がり、恐怖を感じつつもそれを乗り越えた。
だからこそ自分から自分へ贈られる、最大の賛辞だった。
「……反動か?」
“ああ”
彼がここに現れた理由は、それはもう簡単だった。
最大の原因は、自分自身もリスクを負う『第二解放』を使ったこと。
その反動――課されたリスクが今、『彼』がここにいる理由だった。
黒塗りの鞘に納められた純白の刀『絶風』の、二つ目の力。
一つ目は地水火風の四大元素を操り力に変えるものだった。
もちろん、この力にもそれ相応のリスクはあった。
内の魔力を消費すること。リィンバウムで言うところの召喚術に当たる力が、コレになる。
アヴァターでは、あの蒼い篭手を介することで共界線へ干渉できた。
この世界ではできなかった力を、使うことができたのだ。
そんな彼の相棒の、二つ目の力。
対象の力の大きさに応じてリスクが変化し、発動後にこれを課す。
対象の持つ魔力を超え、さらに弱らせることで発動し、召喚された存在を強制的に送還する力を持つ。
「そんな……ッ、ウソだろ! なんでそんなに大きなリスクなんだ!?」
神と対峙したとき、対象を寄代にされていたオルドレイクにしたはずだった。
強引に剥がされた彼はすでに絶命していたが、神を生かすために身体だけは生き長らえ、現界するための要素となっていたのだ。
だからこそ勝つことができたようなものだったのだが、オルドレイクを剥がした代償が、まさか。
「『君』という犠牲を払うなんて……ッ!」
『自分』という代償を支払うなど、あり得ない。
そんなリスクを課した見も知らぬ者にこの怒りの矛先を向けたいと、本気で思った。
しかし、『彼』がそれをよしとしない。
“いーんだよ、これで。本当なら、もっと早くこうなるべきだったんだ”
なぜ、そんなに笑うことができるのだろう。
そんなことを思う。
大切な戦友たちとの別れが続き、それでいて自分と共に戦い、失意の中の自分を救い上げてくれた彼が、なぜ犠牲にならなければならないのだろう。
お互いに仲間だったのだからこそ、さらにそう思う。
“ディエルゴに取り込まれたとき、お前はヤツに打ち勝った。そのときに、俺が生まれた”
「え……?」
“あの事件の後、お前の中で何が変わった?”
それがわかるなら俺の本来の姿もわかるはずだ、と。
彼は口にした。
平穏が戻った島で、知らないうちに自分に起こった変化。
思い出せることといえば、たった一つのことだけだった。
―――あれ? ……瞳、微妙に赤くなってる。
カウボーイハットのよく似合う、大切な仲間の一人の言葉が蘇る。
自分自身に起きた出来事といえば、これ以外に存在しない。
瞳に赤が混じったことで、自分は共界線に干渉することができていたのだ。
“そう、それだ。俺は“お前”であり、それ以前にディエルゴだった存在なわけだ”
随分と、ぶっ飛んだ話だ。
消え去ったと思っていたディエルゴがずっと彼の中にいて、さらに戦闘の手助けをしていたなどとは。
“ま、そんなわけだからよ。このまま消えるのが一番だっつーことだな”
「…………」
言葉を、返すことができなかった。
突きつけられた現実に抗うこともできず、こうしてただ仲間が消えていくのを見ているだけだなんて。
いくら強くなろうとも、結局のところ運命には逆らえないのだから。
“俺ぁよ。こう見えて楽しかったんだぜ、今まで”
島での生活、行く先々の街で起こる大きな事件。
そのたびに戦い、強くなった。
でもそれは『守る』ためだった。
武器がなかろうとも、怪我をしていようとも、満足に戦える状態じゃなかろうとも。
彼は常に自分を奮い立たせた。
そして、今回の一件。
“すべてを滅ぼそうとした存在への罰ゲームにしちゃ、幸せすぎるくらいだ”
光が徐々に薄れ始める。
同時に『彼』の姿もその透明感を増し、肉眼で捉えられなくなっていく。
「どこへ……行くんだ?」
“さぁなぁ。他の世界に飛ばされるかもしれんし、永遠に自由がないままかもしれん”
『彼』は、人ではない。
だからこそどうなるのかわからない。
“どちらにせよ、俺は自分に課せられた罰を受け入れるつもりだよ”
自由に動けぬ身体ではあったものの、それでも『彼』は楽しかった。
一緒にいた日々が。
仲間たちの嬉しそうな笑顔が。
平和で争いのない、この世界が。
そのすべてが『彼』の心を根底から変えていった。
だから、きっと大丈夫。
“楽しかったぜ、相棒。サイコーの気分だ!”
「…………」
うつむいていた。
別れたくない、という彼の仲間へ対する思いが、素直に事実を受け入れられずにいた。
でも、割り切らなければならない。
生涯でも最高の仲間との別れを。
おそらく……否、間違いなくこれっきり会うことはできないだろう。
ざあ……
風が吹いた。
木々に色付く葉っぱのように舞い上がる光を見上げて、
「……っ」
目を見開いた。
聞こえたのだ。
自分の名を呼ぶ声が。
ただひたすら、無事を祈っているかのように。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
指折り数えても足りないくらいに、その声の群れは自分を呼ぶ。
……そっか。
こんなにも、自分を思ってくれている人たちがいる。
そのつながりは切れることなく、自分の心の中にある。
だからここで別れても……きっとこのつながりは切れることはない。
それがたとえ今生の別れになろうとも、遠い遠い世界の果てまで行ってしまっても。
ここにいたという確かな記憶が、ここには残るのだ。
だから。
「君とのつながりも、決して切れない。住む世界が違っても、お互いがお互いを忘れない限り。だから――」
―――君との別れを、受け入れるよ。
それは一つの物語。
それが紡がれる世界は多く、同時に幕を開ける物語も無数に存在する。
ここにあるのは、一つの別れ。
二つの物語の分岐点。
一つは、安息を。
一つは、自ら課した罰を。
それぞれが別の思いを背負い、これからも生きていく。
「……さて、と」
刀を拾い上げて、周囲を見回す。
自分を見上げてしているのは自分と同じであり、それでいてまったく異とした存在で。
彼らも今、自分だけの物語を紡いでいる。
出会いは物語同士の集約点。
今日もまた、新たな出会いに……つながりが増えることに感謝しよう。
「悪いけど、ここから一番近くの街まで連れて行ってくれないか?」
召喚獣たちは、そろって身体ごと縦に動く。
人と違って首と顔の境界がないパターンが多いから、仕方ないかもしれないけど。
それでも自分の頼みを聞き届けてくれることが嬉しくて、思わず笑みを浮かべていた。
さて、まずは地図と方位磁針の購入だ。
燦々と降り注ぐ太陽の下。
召喚獣たちを引き連れて、一人の守護者が今日も往く。
振り返ることなく、自分の帰るべき場所へ。
Duel Savior -Outsider- Epilogue -side Reinpaum-
エピローグ・リィンバウムVerです。
夢主のみの登場な上に、裏夢主はディエルゴだった! なんて酷い設定でした。
終わりがこんなでほんとすいません。
出会いと別れをテーマに、書いてみました!
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