「まずは、これらの映像を見て欲しい」

 王宮に集められた救世主たちは、浮かび上がった映像にまず目を疑った。
 クレアの手の上に乗せられた数個の幻影石に記憶されていたのは、見るの無残な姿に変貌した『人間だったモノ』だった。
 手足は根元から切断され、まるで料理の材料を切るかのように骨ごと輪切りにされ、血塗れた皮膚が剥げ落ち、所々に血の池が出来上がっている。
 そして、地面から建物の壁からなにから全部が全部、絵の具に塗りたくられたかのように真っ赤に染まっていた。
 まるで人間を何かの材料と間違えているのではないかとも錯覚してしまうほどに、現実離れした光景。

「ひどい……」

 ベリオの呟きが一同の耳に届く。
 その場にいる全員の気持ちを代弁しているかのような一言。
 眉間にしわを寄せていたクレアは一面が真っ赤に染まった映像を乱暴にかき消すと、怒りすら篭りつつある手に石を握り締めて。

「見ての……通りだ」

 叩き付けたい衝動にかられながらも、ゆっくりと机の上に乗せた。
 これらの石に記録された映像はすべて、ここ最近街中で噂になっている連続猟奇殺人の現場写真だった。
 殺された人間の身元すらわからなくなるまでバラバラに切り刻まれ、周囲に異臭を漂わせたまま放置。
 唯一の原因と考えられる“破滅”のモンスターたちはもういない。はぐれモンスターはいまだに存在しているが、街には滅多に近づいてくることはない。
 犯人の足取りも一切が掴めず、騎士団の必死の調査にも関わらずお手上げ状態。
 悔しさのあまり拳を握りこみ、机に強く叩きつけられた彼女の表情は、沸騰しそうなほどの怒りを無理やり押さえつけていた。

「この幻影石も、騎士たちが自らの命を犠牲にして記録してくれたものだ」

 彼女の怒りは、人をこれほどまでに惨殺した犯人と、もう何人も犠牲になっているというのにまったく手がかりすら掴めずにいた自分自身の不甲斐なさに向けられていた。
 だから、彼らを招喚した。
 1年前の災厄に臆すことなく立ち向かい、平和な世界を鷲掴みした救世主たちに。
 神の手を離れた召喚器たちは今も健在。それぞれのパートナーと共に在る。
 そうでなければ……否。そうでなくともクレアは彼らを呼んだだろう。
 卓越した戦闘能力を持つがゆえに。そして、彼女が絶対の信を置いているから。

 敵は刃物使い。同時に、達人の領域をひとっとびで飛び越えた存在と言えるだろう。
 人間をまるでスライスハムか何かと勘違いしているかのように細かく斬り刻んでくれたのだから。

「今までにない危険が、お前たちの身に降りかかるだろう。それを承知で……頼みたい」

 訓練された兵士たちですら抵抗する間もなく殺され、一般人に至ってはそれこそ『気付けば』殺されている、といった状況。
 そんな危険極まりない相手を無力化するなら、それ相応の対応をするべきだった。
 命を燃やし輝かせ幾多の死を乗り越え、“破滅”を打倒した彼らは平和になった今、戦う必要はないのだという、彼女自身のささやかな想いすら、もはやその場には存在しない。
 一国の主として、この国に住まう1人の民として。

「今一度、その力を貸してくれ」

 ゆっくりと、その小さなかぶりを垂れたのだった。
 救世主としての責務を全うして、この世界に住まう1人の人間として。
 彼ら、彼女らがその頼みを反故にすることはない。
 光景を見せられて、黙っていられるはずもない。
 暢気に生活できるわけもない。
 何より、自分たちの手で勝ち取った平和を穢されたくはない。
 相手がそんな人間であれ、とても許せる所業ではない。
 だからこそ。

「頭を上げろよ、クレア」
「…………」

 クレアはかけられた声にゆっくりと顔を上げる。
 開かれた大きな瞳に映る青年は誰もを安心させるかのような穏やかな笑みを称え、細められた瞳に1人の少女を映していた。
 表情に安堵が宿る。彼女が目の前の青年たちに絶対の信を置いている証拠だ。

「頼まれるまでもない、でござるな」
「そーそー。カエデの言うとおり」

 カエデとリリィ。
 互いに顔を見合わせて、活力に満ち溢れた笑みを浮かべる。
 自らの力と、それをサポートしてくれる召喚器。そして何より、頼りになる仲間たちがいる。
 それが彼らを余裕たらしめ、絶対の自信となっている。

「私は、マスターの言葉に従うだけです」
「……もう本の精霊じゃないわよ、私たちは……ま、人のことは言えないけど」

 リコとイムニティ。
 彼女たちはただの人間となった今でも、大河と未亜を己がマスターと認めている。
 それこそが彼女たちの本懐であると同時に、ここに在る理由だった。

「あのようなこと、ひどすぎます。私……許せません!」
「私も戦うよ、お兄ちゃん……あんな光景、私見たくない!」

 ベリオと未亜。彼女たちは目の当たりにした幻影石の映像に心を痛めていた。
 “破滅”が襲来していたときだって、こんな光景は見たことがなかった。
 彼女たちだけでなくモンスターによって殺される人間を幾度となく見てきたが、一面の赤とところどころにちりばめられた人の肉と骨。
 身体からはみ出した臓器が生々しく、天に輝く月明かりに照らされて光っていた。
 映像越しに見ただけでも吐き気をもよおす光景。それを自分たちと同じ人間による所業だとすれば、それは到底見過ごせるものではないし、許すこともできそうにない。
 何より、罪もない人たちが殺される理由などありはしない。

「私たちの想いはみんな同じですよ。ね、ダーリン?」
「その通り。この俺が叩き斬ってやるぜ!」

 ルビナスの一言に同意し、大河はにか、と笑う。
 しかしその瞳は笑ってはいなかった。
 居心地のいいこの場所で、いるだけで楽しいこの世界で、人々に悲しい想いなどさせはしない。

「お前たち……」

 やはり彼は、彼女たちは。
 まごうことなき『人類の救世主』なのだ。
 そして。

「ありがとう……よろしく頼む」

 まごうことなき、クレアの救世主なのだ。


 ●


 救世主たちは聞いた。
 これまでの殺人は全て、同じ犯人による犯行だということを。

 紅の月が上るとき、その者は現れる。
 細身の刃と見慣れぬ服装。戦う者とは言い難いほどの軽装。
 そのいでたちを見たが最後、瞬くその間に血色の華が咲き乱れる。
 刃を振るい、降りしきる赤の中で笑むそのシルエットはまるで、死者を誘う死神。

「目印は真紅の両目か……」

 救世主一行は、早速夜の街へ。
 人々は寝静まり音一つなく、彼らを照らすのは月明かりだけ。
 同時に、それは殺人の起こる条件の1つでもあった。

「あとは、空に輝く赤い月……よね」

 天を仰ぐのはリリィ。
 満天の星空に浮かぶ無数の星。愛し合う男女がその下で語らえば、それはもうロマンチック100点満点なシチュエーション。
 しかし、その中心に浮かぶ月。その色はまるで。

「まっか」

 幻影石に映っていた血のようだった。
 クレアに犯人の捜索を頼まれてから数日。ようやくおとずれた赤い月の日。
 本来ありえない月の色だが、ここ最近は割と頻繁。
 月が赤くなるたびに人が何人か殺されているからこそ、割と頻繁だと理解できた。
 リコの声に、全員が空を見上げる。

 赤い月。
 噂にすら流れている街人たちの恐怖のシンボル。
 血の如き輝きに軽く背筋を凍らせつつ、一同は暗闇のかかった道の先を見つめる。
 相手は相当の使い手。救世主たる自分たちが闊歩しているこの場所には近づいてはこないだろう。

「静かでござるな」
「ええ……でも」

 雰囲気があまりに希薄。
 まるで音のない世界に放り出されたかのような、ハルマゲドンみたいな天変地異が起きて世界に1人残されてしまったかのような。
 あまりに漠然とした感覚ではあるものの、感じている本人たち自身も言葉に困るような感覚。

「……静か過ぎるわ」

 整った眉を吊り上げて、ルビナスは言う。
 ホムンクルスゆえか、2度にわたって“破滅”を経験したがゆえか。
 真の救世主として神を打倒した大河も、その異様な感覚に戸惑いを覚えていた。
 彼だけがその感覚に……否、その雰囲気に既視感を抱いていた。
 昔いた、親友とも言える1人の青年が纏っていたそれに、よく似ているような。その青年は比較的口数が少なかったものの、内に秘められた感情は激しくも頼もしい。
 幾度となく背中を合わせて戦った。
 そんな青年が真っ向から自分たちに敵意を向ければ、きっとこんな感覚に陥るだろう。
 お守り代わりに持ち歩いている白い石を掲げてみる。
 月明かりのせいか、ほのかに赤く染まっていた。

「お兄ちゃん、それ……なぁに?」
「あ? あぁ……これか」

 ――俺のこと……覚えていてくれ。
 ――こんな奴がいたな、って……ときどき思い出して欲しい。

 親友と交わした、存在の証。
 薄く刻印の刻まれた不恰好で、手の平に収まるくらいの小さな石。
 その石はまるでその存在を誇示しているかのように、独特の存在感を醸し出していた。

「確かそれ、帰ってきたときから持ってたわよね?」
「ああ、そうだな……大切なものなんだ。大事な親友の……な」
「親友……女?」
「ばっ、バカ! ちっげーよ!」

 じとり、とリリィは大河を見つめて、慌てて両手を振る大河に小さくため息を吐いた。
 なにせ大河の女好きは召喚された時からのもの。節操のなさは不本意にも折り紙つき。
 深く追求したところで無駄なのだ、とわかっていた。リリィはもちろんのこと、その場にいる大河以外の全員が。
 彼の性格を熟知している、と言っても過言ではないだろう。
 まだ出会ってからたった1年。それで彼の性格を熟知できているのだから、それほどに彼の性格の突飛さが理解できるというものだ。

 夜で、街中である割に救世主一行は和気藹々。
 とても殺人事件の犯人を追いかけているようには見えなかった。
 彼らも表面では笑っているものの、内心では怒りを強く抱いている。
 溢れんばかりの怒りを抑えられるほどに、あの戦いを通して人として成長できたのだろうか。
 あるいは、大河が笑っているから彼女たちは笑っていられるのかもしれない。

 しかし。
 そんな雰囲気も、一瞬にして吹き飛んでいくことになる。

「な、なんだお前ェッ!?」
『!?』

 どこからか聞こえる、男の声。
 まだ生きている。見られた瞬間に殺されるというから、男は声が聞こえている限りまだ助けられる。

「師匠! こっちでござるよ!!」

 忍びとして修練を積んできたカエデを先頭に、入り組んだ路地へと進入。
 わき目も振らず走り続ける。
 人はもちろんいない。犯人におびえて、滅多に家から出てこないのだ。
 だからこそ障害物もなく、カエデに導かれるままにただ真っ直ぐ現場へ向かえるというもの。

「……っ!?」

 漂ってくる異臭。
 その異臭の源が何であるのか、それがわからないわけがない。
 現場に近づくにつれてその臭いが強くなる。

「カエデ、お前は……この先へ行かないほうがよさそうだな」
「そんな……師匠!」
「卒倒されたら困る」
「う……」

 カエデは肩を竦めた。
 もはや病気ともいえるカエデのブラッドフォビア。
 この1年で映像越しならば問題はなくなったのだが、生で血を見て平常心を保てるほどカエデは克服しきれていない。
 もし、たどり着いた先に存在しているのがクレアが見せてくれた映像そのものであるとしたら。

「カエデは上から犯人を抑えてくれ」
「むむ……仕方ないでござるな。師匠……気をつけるでござるよ」
「あぁ!」

 大河の返事を聞いて、カエデは跳躍。高い塀をいともたやすく飛び越えると、屋根上へと姿を消した。

「抜けるぞ……気を引き締めろ!」

 影のかかった建物の隙間を抜けて、一行は開けた場所へ飛び出した。
 それとほぼ同時に、その場一面に。

 ぶじゅ、という音が耳に届き、赤の華が咲いた。

 雨のように降り注ぐ赤の雫。
 その中心には1つのシルエットと、複数のパーツに分断された人間の姿。
 足の指という指が爪ごと斬り飛ばされ、手首から先のない腕が思わず立ち止まった大河の目の前でべしゃりと音を立て、主を求めてびくりびくりと蠕動している。
 両腕のなくなった胴体はもはや服なのか皮膚なのかわからないほどに赤く染まり、同時に首から上が宙を舞う。
 地面を転がった表情は恐怖に染まったまま硬直し、一同を震撼させた。

 赤の花弁が広がったその中心にたたずむシルエットは、どこか異質だった。
 纏う雰囲気が、感じる威圧感が。
 人間というよりむしろ、かつての“破滅”のモンスターを……破滅の民たちを相手にしているかのような感覚すらあった。

「う……」
「マスター!」

 あまりのおぞましさに吐き気を覚え、未亜は膝をつく。そんな彼女に駆け寄ったのはイムニティだった。
 未亜だけでなくても、鼻に付く異臭がさらなる嫌悪感を抱かせる。
 そんな現実離れした光景の中心にたたずむシルエットは、爛々と輝く赤い両目のみが確認できるだけ。
 微動だにすることなく、刃の切っ先を伝う血が月明かりに反射し輝きを帯びる。
 かかっていた雲が風に流れて晴れる。
 赤い満月がシルエットを照らし、その全貌が見えてくる。
 それを意にも介さず、シルエットは言う。

「これはこれは、かの有名な救世主ご一行様ではありませんか」

 月明かりに照らされたその顔立ちは、彼らとそうは変わらない年頃の青年だった。
 黒い髪に見慣れぬ服装。その裾は軽くほつれて風に揺れている。
 そして特筆すべきは、そんな彼が犯行に使った刃物。

「お前……なんで……ッ!!」

 細身で軽く反り返った刃に布の巻かれた柄。
 刀、と呼ばれる、大河と未亜の世界に存在していた近接武器。
 白い刃を彩る真紅の液体。

「なんで、お前がここに……ッ?」

 大河はそのいでたちを見て、身体を震わせていた。
 彼らの前にたたずむ1人の青年がここにいること。それは、本来事だった。
 それを知るのは大河のみ。だからこそ、驚くのは彼1人なのだ。
 怒り、そして恐怖。
 それらが入り混じった身体の震えを認めたリコは、目の前の光景に嫌悪感を感じつつも不思議に思い、大河を見上げた。

「なぜって? ……そんなの、決まってるじゃないか。大河?」
『!?』

 青年の声は、自分の行った行為を意に介すことなく、楽しげに笑ってみせた。
 彼が大河の名を知っていること。それはむしろ必然といえただろう。なにせ、彼は救世主なのだから。
 しかし、彼が親しげに大河の名を呼んでいることに一同は驚いたのだ。

「決まってる……? どういうことよ!?」
「どういうことも何も、俺がここにいることの理由はたった1つだよ、リリィ」
「わ、私の名前まで……」

 青年は自身を見る全員を流し見て、懐かしそうに笑みを浮かべる。
 それだけ見ていれば、とてもこの見るだけでも背筋の凍りつくような……人殺しをするような人には見えなかった。

「俺がここにいる理由。それは……」

 しかし。

「お前たち全員を殺すためだ」

 深められた笑みと真紅の目は、彼を人殺したらしめていた。
 ここにいる理由を言うと同時に青年の姿が掻き消える。
 大河は身体をびくんと震わせて、間髪いれずに手を掲げて、その手に剣を具現させる。
 彼と共に神を倒したパートナー。“反逆者”の名を冠した召喚器――トレイター。
 トレイターの柄を強く握り締め、1人前に飛び出した。
 同時に響く金属音と舞い散る火花。血が滴ったままの剣を振りかざして、突然攻撃してきたのだ。
 拮抗する力と力。
 眉間に寄せられたしわを見て、青年は笑った。

「やめろ! なんで攻撃……いや、殺そうとするんだ!」

 大河は叫ぶ。同時に力押しで青年を吹き飛ばし、距離を取る。

「俺たち、仲間じゃねえか!」

 そしてさらに、声を上げた。
 これは彼しか知らない事実。知りえない事実。
 世界中のすべての人間からごっそり抜け落ちた記憶そのものといえる人物だった。
 知らないはずの仲間たちを気にも留めずに大河は叫ぶ。
 別れ際に交わした約束は、今も彼の中にある。
 ……忘れるなんてありえない。
 彼は大事な戦友で、仲間なのだから。

「仲間って……大河君、何を言っているの?」

 背後から聞こえる問い。
 問いを発したベリオも周りでそれを聞いている仲間たちも皆、知らないのだ。
 かつて、救世主候補は8人目が存在していたことを。
 共に背中を合わせて戦い、喜びも苦しみも分かち合ったことを。
 彼がいなければ、今の世界はなかったかもしれないということを。

「お前らは知らないだろうけどな、あいつは……俺たちの仲間だったんだ」

 トレイターを構えたまま、苦しげに大河は叫ぶ。
 かつて大切な仲間だったのだ。その仲間が殺人を繰り返し、さらに自分たちを『殺す』という。
 これがどれほど苦しくて、どれほどに悲しいか。
 それは青年を唯一知る大河のみが知る事実だった。
 青年は面倒くさげにがりがりと頭を掻くと、

「仲間だからどーとか、そんなのはどうでもいいんだよ」

 大河との約束を、真っ向から踏み潰していた。

「な……っ!?」
「俺はただ、お前たちを殺すためにここにいる。それが……だからな」

 そのために、今まで殺人を繰り返してきた。
 彼らをおびき出すために、躊躇することなく人を殺してきた。
 しかし、それも今日まで。

「そして……それも今日で終わりだよ」

 再び大河を肉薄する。
 彼を突破しなければ、背後の彼女たちへは届かないと本能的に理解しているのだろう。
 だからこそ、彼女たちを守る騎士である大河をまず最初のターゲットとする。
 連続して刃がぶつかり、夜の空に剣音が響き渡った。

「大河くんっ!」

 それぞれが召喚器を手に、大河を援護しようと構える女性たち。
 ルビナスは大河の危機にエルダーアークを振りかざして挟みこむことで青年を取り囲み、その刃を躊躇なく振り下ろした。
 しかし、その刃は彼が持つもう一振りの刃が受け止めていた。
 大河のトレイターと拮抗している白と赤の剣よりも短い、カエデのそれと同程度のシャープなフォルム。
 つまり、彼が片手に携えているのは。

「カエデさんのものと似てる……っ!!」

 鍔のない、木の柄を持つ小太刀だった。
 片手に大河のトレイター、片手にカエデの小太刀をそれぞれ受ける形で、しかも2人を同時に相手をしてそれでも対等に渡り合っていた。
 目を閉じて、嬉しそうに楽しそうに笑みを浮かべて。

 青年の持つ小太刀。
 それは、大河すら知らないものだった。彼の知る青年の武器は刀と篭手。
 人間業を遥かに超越した剣技と、召喚器である篭手の世界を超えた干渉と召喚術。
 味方であったときはそれこそ頼もしいものがあった。しかし、これが敵に回った時ほど怖いものはない。

「ルビナス、離れろ! スピードが違いすぎる!」

 一撃の威力を重視した大剣と小回りの利く小太刀。
 いくら攻撃力に重点を置いていても、手数で押されては手も足も出ない。
 まして、相手は破滅級の力を持つ人間だ。そして、同時に人間を躊躇なく惨殺できるのだ。
 少しでも劣勢になればあっという間に殺される。
 いくらルビナスがホムンクルスとはいっても、仲間が殺されるさまを大河は見たくない。

「大丈夫よ! 最古最強の召喚器は伊達じゃないわ!」

 圧倒的な手数を前に臆すことなく、ルビナスはエルダーアークを巧みに操る。

「大河、ルビナス!」

 離れて!

 そんなリリィの声が耳に入ってくる。魔術による援護攻撃の準備ができたのだろう。
 これを彼は好機と考えた。
 破滅との戦いで、彼は魔力的な攻撃に弱いと自分で言っていた。
 目の前にいる彼が本人ならば、今回だってそれは同じはず。魔術による攻撃はまさに絶好。
 ルビナスとアイコンタクトし、同時に離れる。

「いっけぇーっ!!」
「ホーリースプラッシュ!!」
「「テトラグラビトン!!」」

 トレイターを構えたまま爆炎に包まれる青年を見据えた。
 リリィ、ベリオ、リコ、イムニティの4人同時攻撃。
 魔術使いとしては高いランクに位置する彼女たちの一斉攻撃だ。耐えられるはずもないだろう。
 ……と、大河は思っていた。
 しかし。

「……効かないな、こんな

 小太刀をたった一振りするだけで、全てが掻き消えた。
 服には焦げ目一つ付いておらず、まったくの無傷。4人分の魔術を無効化したというのに、涼しい顔で含み笑っている。
 左手に携えていた小太刀は淡く赤の光に包まれている。なんらかの作用で魔術を無効化した、と考えるのが妥当だと言えた。

「さて」

 そして、再びその姿が消える。
 目に見えない、止まらないほどの速力。カエデを超える爆発的な加速で、10メートルほどの距離を一瞬にして詰めた。
 一瞬の出来事に、彼女たちを守っていた大河も反応すらできないまま。

「ふ……っ」
「!?」

 正面に位置していたリリィをターゲットに構えて、一瞬にして彼女を斬り裂いた。
 とっさに防御壁を張るものの、繰り出された斬撃はいともたやすく壁を砕き、縦一線に裂傷を作り上げた。
 悲鳴を上げる間すらもなくリリィは膝を崩し倒れ伏す。

「……まず、1人目」
「リリィっ!!」

 吐き気に襲われながらもジャスティを構えていた未亜が声を荒げる。
 今まで殺された人間たちのように斬り刻もうと刀を煌かせる青年の攻撃を阻んだのは、リリィ以上の防御魔法を唱えたベリオだった。
 何人たりとも通すことのないその防壁はリリィと青年の間に展開され、振り下ろそうとしていた手を止める。
 まるで作られた魔法壁の強固さを知っているかのように。

「てめぇ―――!!!」

 背後から怒りに表情を染めた大河が肉薄する。力の限り振り下ろされたトレイターは地面を抉るほどの威力を誇り、背後に後退できない青年は高々と舞い上がり、建物の上へと飛び乗った。
 赤い月を背後に据えて、青年は笑う。哂う。
 右手に血の伝う長剣を、左手に小太刀を携えて、真紅の双眸を禍々しく輝かせる。

 ……背後に感じる一つの気配。
 短い緑の髪を靡かせて音もなく肉薄する黒い影。
 大河の指示で屋根上に待機していたブラッドフォビアのカエデである。
 階下の声を耳に聞きながら戦況を把握していた彼女は、1つの黒い影が屋根に飛び乗ってきた瞬間に小太刀を抜き放っていた。
 あれは敵なのだと、本能的に理解できていたから。
 自身は忍びの者。暗殺を生業としていた彼女たち一族だからこそ、気配を気取られることなく目標を撃破することができる。
 身体能力も忍びとしての資質も申し分ない。音も気配もなく背後から近寄れば、撃退は確実。
 これであのおぞましい殺人事件も終わり。
 絶対に行けると、確信していた。
 しかし。

「……っ!?」

 黒い影はまるで自分がいることをわかっていたかのように振り向くと。

「が……っ!?」

 一瞬のうちに、その白い刃が腹部に食い込んでいた。
 その切れ味ゆえにあっさりとカエデの細い身体を貫通し、おびただしい血が流れ出す。

「これで、2人目」

 強引に刃を横に開いてカエデの身体を斬り裂きながらから抜くと、彼女の頭を鷲掴み、屋根の上から大河たちの真上へと移動させた。
 青年の手によって彼女の身体が吊るされている状態、といえばわかりやすいだろうか。
 みしり、みしりと軋む彼女の顔を嘲笑しながら、階下へと視線を移動させる。
 そこでは、深々と斬り付けられて虫の息状態となっていたリリィに必死に癒しの魔術をかけるベリオと、血を滴らせたカエデの登場に驚きを見せていた大河とルビナス、そしてリコとイムニティが表情に驚愕を貼り付けていた。

「ほら、ベリオ。もう1人プレゼントだ」

 殺気すら篭った視線を浴びながら恍惚とした表情で、掴んでいたカエデの頭から力を抜く。
 重力にしたがって、彼女の身体は落ちる。高さはそれほどあるわけではないが、怪我した状態で落下すれば、まず助からないだろう。
 だからこそ、大河は彼女を受け止めようと両手を広げた。

「カエデさんっ!」

 未亜の声。
 抱きとめられた彼女の表情には苦悶が浮かび、珠のような汗がにじみ浮かんでいた。
 まだリリィの応急処置すら終わっていないのに、とベリオの表情に必死さがにじみ、治癒の光が強まる。
 出血量が多すぎる。
 傷は塞げても、はやく学園に戻って処置しなければ命の危険性がある。
 リリィも、カエデも。
 “破滅”と最後まで戦い抜いた彼女たちでさえまるで赤子のようにあしらわれ、同時に仲間を傷つけられた怒りに打ち震えるベリオは、憎悪すらも篭った視線で黒いシルエットを見上げた。

「ベリオ、未亜、ルビナス。それにイムニティ! お前たちは学園へ戻って、学園長に事情の説明と2人の治療を」
「お兄ちゃんは……どうするの?」

 未亜の問いに、「決まってるだろ」と大河は返す。
 彼が見上げた先にいる、1つのシルエット。大事な仲間を傷つけて正常でいられるほど、彼もまだ心は成長していないのだ。
 それ以前に、人間というのは大事な人が傷つけられれば怒りを覚えるもの。
 ある意味では、正常な人間の行動と言えた。
 もちろんそれは、元パートナーであるリコも同じ。
 大河は自分1人では勝てないと理解しているからこそ、リコの助力を必要としていた。それに応える意味でも、また仲間を傷つけられた怒りをその小さな身体に宿して、見上げた。

「転移すればすぐにつきます。イムニティ」
「わかってるわよ!」

 イムニティは陣を書き上げて、自分ごと光に包まれ、その場から消え去った。
 その間青年は微動だにすらせず、救世主たちのやりとりを眺めていた。
 あまりに張り合いがなかったから、というのが大きな理由だ。そして、こんな連中に“破滅”は負けたのかという失望すらあった。
 だからこそ逃がした。
 時間は有限であるからこそ、楽しむためにも仕切りなおすのがいいと考えた。
 青年は軽やかに跳躍し大河たちと同じ場所へ降り立つと、笑みを浮かべる。
 今度はどんな戦いができるのか、と。

「お前、誰だ?」
「ん?」

 怒りに打ち震える声で、大河は問う。
 目の前にいる青年は、自分の知る『彼』ではないと、記憶が、そしてポケットに入っている白い石が語っていた。
 だからこそ、尋ねた。
 誰だ、と。

「あいつは、仲間を『どうでもいい』なんて言わない」
「…………」
「あいつは、そんな笑い方をしない!!」

 青年は大河の言葉に笑った。
 諦めたかのように、そして呆れたかのように。

「よくわかったな。確かに、俺は『奴』じゃない」
「『奴』……?」
「おやおや、リコ。君も良く知っているはずだがなぁ……」

 そんな一言に、リコは身を震わせた。
 目の前の敵は『知っている』という。でも、自分は目の前の人間を知らない。
 知らない……はずなのだが。

 胸がざわついた。
 まるでなにかを自分に教えてくれようとしているかのように大きく脈動する。
 胸元を押さえながら、視線を青年へ。
 黒い髪に、赤い瞳。そして、純白の刀。

「何者だ、テメェ」

 思考の渦に飲み込まれていくリコを見やりながら、大河は再び問う。
 目の前の青年が『彼』でなければ、同じ顔、同じ姿をしているこの男は何者なのだろうか、と。
 答えは、いとも簡単に返ってきた。

「いいぜ。教えてやるよ。“俺”は……」

 赤い月を背負い、同色の瞳を輝かせると。

「“破滅”だ」

 名を名乗った。

「はめつ……ですって?」
「そうさ。この名を聞いて、わからないお前たちじゃないだろう?」

 リコの言葉に笑みを深める。
 わからないわけなど、なかった。
 この世界に住まう人間の誰もが知るこの2文字の言葉は、人々の最も忌むべき災厄。
 そして同時に、すべて過ぎ去った過去の出来事。
 たくさんの人間が死に至り、積み上げてきたすべてを根底から崩した軍勢たち。
 その忌まわしい災厄も、大河をはじめとした救世主たちの働きで永遠に繰り返されることのない、平和な世界になった。
 ……はずだった。

「ば、バカ言うんじゃねえよ。神は確かに俺とアイツで……」
「そう。確かに神は死んだ。この世界に神はいない。いや……いなくなってよかったんだろうな」

 青年は言う。
 “破滅”と名乗った彼が、“破滅”そのものを否定しているような発言に耳を疑う。
 あきらかな矛盾。同時に“破滅”たる彼が『彼』の姿を象ってここにいるという矛盾。
 存在自体が矛盾しているといっても過言ではないだろう。

「なにを……」
「だがな“破滅”は“破滅”なんだよ、大河」

 すべてを破り、滅ぼすもの。けして破られることはない。
 それこそが“真の破滅”。
 この世界は最初から、滅ぼされる運命だった。と、いうことだろうか。
 そうだとすれば、彼らの働きはすべてが無駄になる。そして同時に、彼らの全てを否定されることになる。
 もちろん大河もリコも、そのような事実を突きつけられて正気でいられるはずもない。

「なら、お前1人でこの世界を滅ぼすってのか……ってか、なんでよりにもよって姿なんだ!」

 今までの破滅はすべて、モンスターだった。
 破滅の民は人間だったものの、この世界に存在しないはずの人間が……最後の最後まで“破滅”と敵対し続けた『彼』が、“破滅”として舞い戻ってくるはずなどないはずなのだ。
 ならば目の前の男はなぜ、その姿でいるというのか?
 かけがえのない親友として、そう尋ねずにはいられなかった。

「前者の問いにはその通り、と答えておこうかな。そして、後者の答えは……そうだな、お前には教えておこう」

 手に携えた刀を振るって滴っている血を振り落とすと、瞼を閉じる。
 それと同時に、大河は驚いていた。
 つい先刻まで吹きつけていた殺気が、忽然と消え去っていたのだから。

「この姿はなぁ……」

 戦意すらも見当たらず、軽く呆けてみせる。
 瞼を開いてその爛々と輝く真紅の瞳を再び2人へ見せつけると。

「お前たち、人間が……お前が無自覚に抱いている恐怖そのものだよ、大河。いや……神殺しの救世主殿」
「きょう、ふ……?」
「そうさ。お前は今の今まで、“破滅”と戦っている最中だって……心の奥底でこの男に激しく恐怖していたんだよ」

 彼はさぞ楽しげに、歯を見せて唇を吊り上げて。

「ハハハハハハハハ!!!」

 声を上げて、笑ったのだった。





 Duel Savior -Outsider-

 Another Story

 -ENDLESS THE WORLD- 中編







というわけで、2連載のネタバレ万歳! な中編です。
つまり、夢主はこの先、2刀使いになるわけですね。
そのあたりはいずれ、2連載で。初めて小太刀が登場した時が、
「ムフフ」
な時かもしれません。
……いつになるかは定かじゃないですけどね。


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