粉砕の一撃が脳天に向かってくる。
――――避けなければ。
だが、昏倒一歩手前で体は動かせず、当然足も動かない。気も新たに練る時間は無い。
――――躱せない。
ならば、受け入れるしかないのか。脳味噌を撒き散らす事を。
――――否、防ぐ。その手段を持っている。
彼に刻まれた力ならばそれが可能。腕を突き出し、宝具を発動させ様として―――
それは駄目だと、ノイズが奔った。
―――アレに勝つには、切り札を使うな。
それだけが頭に浮かぶ。泡沫だが、確信。恐らく以前にしくじったのだろう、その手段は死を意味する。
青い槍兵が“四枝の浅瀬”を敷いた時の様な戦い方は、彼には出来ない。出し惜しみ無しの、敗走も退避も許されない故の一騎打ちをしたならば確実にこちらが負ける。
どんな戦い方をしろと言っていたか。戦士としての、純粋な力のみで立ち向かえと言っていた。
ならばここで、宝具を使う事は出来ない。ブレーカーは圧し勝つしかないのだ。
「―――――っ!」
足に力を込める。上手く動かない。だが、それでも充分だ。ストックした気が、使い損ねた気がある。それを使えばいいのだ。
我武者羅に足を動かす。強化された足は制御が効かずに暴れて動き、地面を蹴った。
体が乱暴に投げ出されるのを感じながら地面に転がり、その前方で地面が砕かれる音を聴いた。
「――――、…………」
危なかった、と正直に思う。あれを頭に叩き込まれていたなら無残な首無しが出来ていた筈だ。
「避けましたか。矢張り、その力は厄介だ」
昏倒し掛けている自分に対して全力で向かってこられる魔術師に、さてどうしようか、とブレーカーは小さく舌打ちした。
*
ぶっちゃけると、俺の事はもう眼中に無いっぽいな、と思う。
破壊者は俺の手には負えない事は解ったし(実は解っていたが)、バゼットとアイツの戦いには俺が入る余地なんか無い。寧ろ入ったら死ぬ。
俺は英霊として末席でも一応矜持はある訳で、宝具を使ってやっとこさ一矢報いる事は出来たが、それでアイツはバゼットと対等の位置に立ちやがった。
怪訝しいだろ。俺だったら即死だぜ? や、絶好調でも死にそうだが。
兎にも角にもそんな野郎は、あのタイミングで切り札を使うかと思ったが、予想外にも無様に倒けながらバゼットの時速八十キロ右ストレートを避けた。気分が悪くなかったら口笛でも吹きそうな感じだ。
絶対に逆行剣に抉られると思っていたものだから、あの避け方にはちっと驚いた。まぁ、予想の範疇だが。どうせ、あの例外野郎は今まで描いてきた四日間を刹那観たんだろう。それも、自分が死ぬヤツ。
しかし、いい気なもんだ。垣間見る事だけと云うのは何も知らないの事と同義だ。少しばかりの真実では事実を知れる訳も無い。
俺が何回繰り返したのかの気も知らず、全く、いいご身分だ。途中で数えんの止めたから今が何回目か判んねぇけど、兆回かも知れないし無量大数かも知れない。間は大分あるが、それぐらい繰り返したって事だ。
虚無ではないモノ。
―――確かに、綺麗なもんだと思う。
享受し続けられるならばしたいだろう。ずっと続くならば続けたいだろう。だが、駄目だ。
ちゃんと、進めなくちゃあならない。
尚更に、止まる事は駄目だ。
その為の欠片だ。これも。どっちにしろ、あの破壊者には負けてもらわないといけないし、勝ってもらわないといけない。
ま、俺がここで無様に打っ倒れているところまでは同じなんだから、俺に出来る事は無いんだけどな。野郎にも早く進んでもらわないと困る。
この時点で俺には傍観しか出来ないし。……さっさと進めろ破壊者め。
*
どうしようか、と考えたところで出来る事は一つしか無い。
自分の基礎能力のみで彼女に勝たなければならない。それが出来ないなら敗北。通常の状態ならバゼットさんが宝具を使ってくる事を考慮しても勝てる。彼女と俺では根本的に存在が違うのだから。
だけど―――
がくん、と足の力が抜け掛ける。それを見咎められない様に無理矢理体を支えさせた。
―――体の状態が最悪。
多分、これはアヴェンジャーの能力だろう。パワーファイターのバゼットさんはこんな術は使わない(使えない?)と思う。
恐らく宝具。それも、呪いだ。
ここに喚ばれる前の世界でも似た様なものはあった。強制的に眠らせたり、麻痺させたり、石化させたり……正直、石化には獣耳やら何やら言及してほしくない過去があるので好きじゃなかったりする。
向こうに居た時はまだそれを治す手立てはあったけど、ここでは、否、現状直ぐに治せる手段はどちらにしろ無い。それに、腐っても宝具。容易く打ち破る事は出来ないだろう。
どうやらアヴェンジャーと傷を共有するタイプの呪いだろうけど、俺の方の基礎能力が勝っていて助かった。もしも、アヴェンジャーがまだ動けたり、俺が動けなくなっていたらその時点で勝負は決していただろう。
そして結論付けるならば、俺はバゼットさんに勝たなくちゃいけない。
どうやら、このマスターとサーヴァントの組み合わせは変わって居るもので、マスターの方が戦いが強いらしい。それも、葛木先生とは違って、奇襲の時だけ通じる強さじゃない。
戦い方次第で、勝てる可能性を持っている。
出し惜しみや細かい事を考えてなんかいられない。全ての体力を気を使って一気に片を付けるしか無い。
少々辛いけど、全身に気を乗せる。
明らかに、ブレーカーの空気が変わった事をバゼットは感じ取った。
アヴェンジャーの宝具により、彼の体調は最低で最悪な筈。それはアヴェンジャーの弱さが、そのまま宝具の威力となるのだから折り紙付きの事。
そしてそこまで追い詰めれば自身の最大勢力を以て応戦するしかない筈で、またそうでもしなければ勝てる望みは薄くなる。故に、宝具と云う選択肢に食指を伸ばすのだ。
だが、彼は土壇場でその選択肢を放棄した。
宝具を使えばただの人間であるバゼットに、上位に居る英霊は勝てる事が道理だと云うのに。事実、彼女は相手に相打つ事で勝つ。ただそれを、『相打ち』と云う形になるものを、歪められるのが逆行剣なのだ。
然して、最弱の英霊と極まった人間が、英霊と云うものに勝つには今までの戦法で良かった筈だった。
宝具を使わせるところまで追い詰め、相打つ。
これで必勝。こちらの宝具の特性による相手の隙の必衝。だと、云うのに。ブレーカーは実に合理的ではない方法を選んだ。このままでは勝つ確率はぐっと減ると云うのに、だ。間違い無く宝具を使用すれば勝利を手中に収められると云うのに。
そして、今。
ブレーカーは宝具を使うどころか、彼の身体のみで戦おうとしている。別にそれは変な事ではない。普通、英霊が人間に負ける事などは無いのだ。
だがこの状況は特殊。彼もそれを判っている筈。ブレーカーは不調でバゼットは強い。この条件ならば英霊が負ける事も充分にありうるのだ。
(彼は今、先刻と同じ事をしようとしている)
冷静に、ブレーカーの雰囲気が変わった原因を推測する。それはアヴェンジャーとの戦いで見せた謎の力―――気である。速力の向上技術も持っている。攻撃魔術にも似た技巧も持っている。
(ならばこちらも相応の対処をすればいい)
あの刃には自身の格闘技術で対抗出来る。あの異常な速力にも対する手立てはある。
屈んで、素早く足に早駆けのルーンを刻む。これで、応戦の態勢は整った。
ブレーカーも準備が出来たのか、刀の構えを正してバゼットを睨んだ。
そして両者は跳んだ。
速力で勝っているのはブレーカー。彼の鍛え上げられた心身により練られる気は、それ単体でまさしく魔術の様相を呈する。
バゼットもルーンで速力を強化しているとは云え、ブレーカーには一歩及ばない。先に相手に到達し、攻撃を仕掛けたのはブレーカー。
右の袈裟斬り。彼の刀は騎士王とも打ち合える剣筋を持ち、狂戦士と渡り合える力を持っている。その一閃は肉を断つ。が、矢張り呪いの影響か。些かの鈍さがある。
バゼットは左拳で刀を往なして、右拳で迎撃する。鋭いアッパーカットが顎を捉えるが、ブレーカーは恐怖を知らない様に、更に踏み込んだ。
冗談みたいな音が彼の耳を掠め、バゼットの腕は虚空を殺す様に振り上げられた。右袈裟に斬り込む掛けていた彼の刀は軌道を変えられていたが、未だに射程距離にある。弾かれ逆袈裟の形になっているが、十分に届く。
ぐっ、と柄を握る手に力を込め直す。バゼットの両手は共に一行動を終えているので、次には一呼吸入れる必要がある。無防備。ブレーカーは彼女の腰から肩に掛けてを捉え刀を振るい―――肝心なところで、足が弱音を吐いた。
「――――っ」
その致命的な隙は正に『一呼吸』分。振り上げた右拳よりも戻りが早かったバゼットの左拳がブレーカーの側頭部に狙いを付ける。
両者の二撃目はほぼ同時に放たれた。
即死級の一撃に対してブレーカーは頭を低くした。それは身体全体が屈む形になり、刀を中途半端に振る結果になった。
刀はバゼットの男物のスーツの上着を少し裂いた程度で終わり、彼女の左拳はまたも虚空に振られただけだった。
そして、ブレーカーは即座に距離を取る。それは追撃の右拳から逃れる為と、自身が攻撃に転じる為。
刀を振るにはある程度の距離が要る。極端な近距離では、腰や腕の可動能力から言って刀を振る事は出来ても、それは余りにも粗末な結果にしかならない。徒手空拳の格闘によるならばインファイトは容易く出来るが、刀はそうもいかない、と云う訳だ。
死線の境界上から戻って落ち着くと、高揚から忘れていた吐き気が少し戻ってきた。
(―――拙いな)
内心、愚痴る。ブレーカーはバゼットと二撃しか打ち合っていないが、それだけで十分に互いの現在の力量が拮抗している事が判った。このまま逃げてしまいたいな、と思いながらもそれは不可能だと自身に言い聞かせる。
この体調ではどうせ追いつかれる。そして自分を自分での罵った。
(何で、アヴェンジャーにあそこまで容赦の無い一撃を加えてしまったかな……)
しかし後悔先に立たず。少なくともアヴェンジャーが復活しない限り彼の体調が良くなる事は無いが、彼にどれだけの攻撃をしたのか判っている故に、正に結論は自業自得の一言に尽きる。
恐らくアヴェンジャーの息の根を止めればいいのだろうが、彼はそんな事はしたくない。彼はこの最悪絶不調な状態で凌ぎ切らなければならないのだ。
対してバゼットは勝機を見出す。ブレーカーと同様に、打ち合いから互いの実力の程が解ったのだ。それは基礎能力のみの話で、彼女には宝具がある。
逆行剣の真髄は“後より出でて先に断つ”と云うその特性だが、それを発現させないで普通に宝具を発動させる事も出来るのだ。ランクはCからDの、単純に攻撃を収斂した剣と云う宝具になるが、それでも宝具は宝具。剰え、自身の切り札を封じられている相手に発動させるには十分な脅威。
しかも、基礎能力は同等になっているのだ。単純に考えれば宝具を使えるバゼットが優勢。故にバゼットはここぞと云う、これ以上は無いと云うタイミングを狙って、宝具を発動させる契機を窺う。
バゼットは構え、同様にブレーカーも刀を持つ。
そして再び相対する。
一切の無駄の無い動きでバゼットは拳を放ち、合切の攻撃をブレーカーは捌き切る。
何と云う奇妙な光景だろうか。
現代に刀を振るっている輩が居ると云うのもそうだが、それよりも奇怪なのはそれを相手取る者である。
刃に対して素手で戦っているのだ。革手袋をしているとは云え、そんな物は関係無いだろう。
バゼットの拳は強化されているとは云え、生身の肉体である事には変わり無い。そして他方は刀である。それも英霊と云う規格外で破格な相手。単純に刃を合わせるならば切れる筈。
だが、この場に於いてはそんな事は無関係。彼女は封印指定の執行者。魔術協会で最悪とされる内の二つを占める立場に居る人間なのだ。それが刃に対して無様に退く訳が無い。人外を相手にして、既存の刃物に敗れる道理は無いと云う事だ。
拳を放ち、刃との接触点をずらし、往なし、墜とす。動きに一切の無駄は無い。
更に彼女の手数は多い。ブレーカーの調子が普段通りならば手数など無視出来るだろうが、彼はギリギリの状態なのだ、
「――――っ!」
動きが、追いつかない。
刀が大きく後に下がる。それは防御が崩れた証。
契機。否、ここはまだ宝具を使う場面ではない、とバゼットは判じる。代わりに、大きく踏み込み全身を使って右ストレートを打ち込む。
「――――はっ……!」
腹部に放たれる拳。それは殴るものではなく貫くもの。否、正確に言うならば抉るものだ。喰らってしまえば腹がごっそり持っていかれる一撃。
歯を噛み締め、くそ、と言葉にならない罵りをしながらブレーカーは左腕でそれを受けた。
ミシリ、ではなくグシャリ、と云う音がし体が後に下がる。瞬間的に気を腕に纏わせたものの、この威力。骨は罅割れたどころではなく、折れたかと思う。それも恐らく粉砕されている。
何て馬鹿力の人間凶器、と益体の無い感想をブレーカーは抱く。だが、そんな感想を抱く程の余裕はまだ無く、バゼットの攻撃は終わっていない。
右拳の上に、帯電し始めている鉛球がある。
バチバチと音を立てて球体が剣の形に変わっていく。
冗談じゃない、と思える追撃。最早追い討ちの駄目出しである。冗談ではなく、巫山戯るな、と思いたくなる。
完全に神代の宝具の形を成した剣。それの最大の特徴である『逆行』は為されないが、それでも唯一つに集約した攻撃の威力は大きい。
「――――“斬り抉る戦神の剣”――――!」
戦神の剣が捉えるは破壊者の心の臓。
真っ直ぐに、高速で突き進む剣は正に斬り、抉る。特性は為されずともそれは宝具、防御は徒労に値するだろう。防ごうにも、斬り抉る戦神の剣は止まらないのだから。
だが、戦神の剣が相手だろうと万難を排し、全てを凌駕し、そこに勝機を見出せるのが―――破壊者。彼の“心眼”は、そこに確かに隙を見て、そこを衝く。
そして彼は、囁く。
「天を穿つ―――」
彼の最大の奥儀。最大の攻撃。騎士王にも英雄王にも劣らぬ剣。現況の出力としては最大時より数段劣るが、それでも“熾天覆う七つの円環”と三枚まで相殺に持ち込める可能性を持つ。
「――― 一子相伝の剣……」
それだけの威力を誇る剣である。仮令、気が足らずとも、状況が不利であろうと覆す。故に宝具ではなくとも逆行剣が反応しうる、それらに肩を並べる“切り札”とも呼べるもの。
故にそれは、
「天牙穿衝―――――!」
“殲滅剣技”と、呼ばれる。
気による牙を成した剣は、右腕だけで振られる。それが威力としてはマイナスにはなるが、矢張り殲滅の剣。
排撃し撃滅し鏖殺する。
戦神の剣と真っ向からぶつかる。片や収斂された剣、片や殲滅の剣。互いに退く事は無い。どちらかが破壊される事がこの両者の決着となるのだ。
だがしかし、この戦いは剣のみに限らない。殲滅の剣を握るのは破壊者。彼こそが“殲滅剣技”の使い手であり担い手である。これが意味する事は単純で、導かれる結論は明快である。
“殲滅剣技”の真価は、その技を使う者にこそあるのだ。
彼の轟雷の将すらも会得出来なかった、異世界の内の一つで最強とされる剣技。それ自体の威力も凄まじく、往々にしてその技にのみ眼が行く。だが、考えてみると、これが成立するのは実に、その使用者こそが強靭に過ぎる存在故なのだ。
つまり、彼にこの剣技を使わせた時点で――――破壊出来ぬものなど、皆無に等しい。
不可視の牙に、剣が呑み込まれる。
ブレーカーは刀を持つ手を振り切り、戦神の剣は破壊された。
そして、剣と牙のぶつかりの余波が未だ残っている内にブレーカーは再び跳ぶ。右腕だけで刀を構え、バゼットの喉元に突きを放った。
強化された足の凄まじい踏み込みの音がして、血が一滴落ちた。
「―――――」
絶句するのはバゼット。絶対の自信を持って放った宝具が破られた事に対する動揺もあるだろうが、何よりも目前の敵が刃を直前で止め、刺さない事に対して、絶句していた。
「俺の、勝ちですね」
ぽつり、と刀を引きながらブレーカーは言う。
「な……」
「何故も何もありませんよ。貴女の気が済むまで相手をすると俺は言ったと思いますけど。
それにこれで俺の勝ちでいいでしょう? 正直、もう本当に身体が辛くて」
困った様な顔でブレーカーは言う。
「それにほら、もう直に日が変わる。
約束の刻限ですよ。続けられませんから、引き分けと云う事で」
困惑しているバゼットを尻目に、ブレーカーは後を向く。そこには気怠そうにしているアヴェンジャーが居た。ふらふらしているところを見ると、未だに脳震盪でも起こしているらしい。
「これでよかったんだろう、君としては?」
言うと、アヴェンジャーは吐き捨てる様に、ハッ、と笑っただけだった。
それに苦笑しながら刀を仕舞って虚空
を仰ぐ。
月輪が天上に昇り、眩む様な冷たい光を放っている。杯に到るにも、絵の完成にもまだ遠いが、それでもまた一つ埋まる。
そうして日付は戻り、また繰り返される。
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